エッセイ想紡草(その1)ー七才の春ー

七才。小学一年生。春。
その朝、母が父に向けて低く構えた銀色の包丁を見ながら家を出た。黙って立っている母に「行ってきます」と言ったと思う。家を出たばかりのところのブロックの角で足首のあたりを軽く摺った。

通い始めたばかりでまだ慣れない教室にいる間、家の事は忘れていたような気がする。父か母どちらかが家で血を流して死んでいるかもしれないとは、露程も思わなかった。
帰るといつも通り誰もいない部屋の丸テーブルに一人分の食事が用意してあった。裏口の土間につないだ子犬のチェリーをいつものようにこっそり家に上げ、テーブルの上のものを分けながら食べる。

父も母も死んではいなかった。
家の中は何事も無かった様にしんと片付いている。
母は精神科の看護婦で帰りが遅い。

親というものはいつも何かしら揉めているものだと思い込んでいたので、よその家も同じなのだと思っていた。なんだか違うらしいと気付いた時は二十歳をすぎていたので、随分鈍感でのん気な子供である。

この銀色の包丁事件の八年後、もういちど、今度は父が母に日本刀を向け、それは母がようやく家を出るきっかけとなった。
父の振り下ろした日本刀は母を逸れ、わたしの肩先をかすめ、畳に深く刺さった。
どうも、私は家の中で命からがら生きのびてきた子供であったらしい。
幸運にも死なず、こうしてのんびり「かつての思い出」として、起きた事を書くことが出来る。

このとき畳に刺さった日本刀に関しては、凄惨な後日談がある。
それはまた、追々、書いてゆこう。

    *

私自身のことを書く前に、父と母のルーツについて、すこし。
たぶん誰にとっても面白くもないルーツだけれど。
(けれどわたしはこの中に、ひとつの危うい家庭についての凝縮されたヒントと答えがすべて在るように思う)

母方の山口家の人々は敬虔なクリスチャンで、明治生まれの祖父は長野、祖母は大宮出身で旧姓を佐藤といった。祖父はバイオリンを趣味で弾き、祖母は裕福な庄屋の子であったそうで、大正を生きた女性らしく複雑で美しい千代紙人形の作り方を孫である私に折々教えてくれた。娘たちにオルガンで伴奏をさせ、賛美歌を歌うのが好きであった。ひねくれ者の私の母を除いた全員が、日本キリスト教会で洗礼を受けている。祖母の産んだ四人目の子が母である。

父方の祖父は大阪の房田という商家のあるじと女中の間の不義の子として生まれ、長崎小浜の濵田家に秘密裏に養子に出された。成長した祖父はリヤカーひとつひいて家を出、北九州に来ると自力で一膳飯屋をはじめた。やがて結婚し五人の子供をもうけたが、妻を若い男に寝取られ離婚し、子供をみな連れて幼なじみの従姉妹と再婚した。再婚相手にはひとりの連れ子がおり、世の例に漏れず、のちに兄妹間の確執のもととなる。先妻の産んだ長男が父である。

父母の結婚は母方の山口家の大反対にあい、私が幼い頃、母はまだ実家に甘えにくかったようだ。私達の住んでいた二間つづきの小さなアパートと山口家は子供の足で十分ほどの距離であったが、夫婦のあいだに刃物を持ち出すほどの争いがあることなど誰ひとり知る由もなかった。不思議な事に子供であった私も口がかたく(なにしろどこの親もみな戦っているものと思っていたので、あえて外に訴える必要を感じないのだ)。日常的な争いは大変長いあいだ家族の間だけで守られ、家の外へ出て行かなかった。

     *

そのような時期、うまれてはじめてもらった私の通知表はオール「4」。五段階評価だが最初の学期は「5」をつけない方針というので最高の評価だ。但し下の方に赤いペンで「リーダーとしての自覚に欠ける」とあった。
七歳の私には「リーダー」の意味がよく理解できなかった。
母は「自覚に欠ける」にはこだわらず「リーダー」という言葉を喜び、その意味を教えてくれた。「みんなを引っ張って先に行く人のことよ」と彼女は言い、その言葉は私の小さなあたまの中で「マラソンでいちばん先頭を走る人の図」に変換された。
私は走る事が嫌いであったので、それはイヤだ、それにはならないと決めた。

先頭を走る事を避けるという、遺伝子なり生物学的に説明のつくメカニズムのようなものがもしや何処かにあるのではないだろうか。
五歳、嫌々通っていた幼稚園の運動会で、はりぼてのロケットを二人で運ぶという難解な競争を強いられた。
私と組んだのは井田という名字の女の子で、たいへん意地が悪い。
それは他人の性格というもので仕方が無いのだが、さらに彼女は闘争心のかたまりと化しており、五歳の私の気はいっそう萎えている。
二人でロケットを抱えて走っている最中「一番にはならない」と言った言った言ったんだから! あのこ馬鹿じゃないの、と、あとで大変なじられた。
私は覚えている。「一番にはならない」と確かに言った。
一番にゴールするのがイヤだったから正直にそう伝えたのだ。私はなにも悪くない。

もうりひとみ      (つづく)

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