ひと汗

自分の頭の斜め上で、人差し指をくるくると回しながら、
「これでっか?」と運転手が僕の家族に尋ねる。
そうしてタクシーを駅前から走らせて登る、きつく長い坂道の上に、
僕の目指す精神科長期入院病棟がある。
かつて「ルナティックアサイラム」と呼ばれていた。
「ルナティック」ってどんな意味だろうか? 「アサイラム」は多分、収容所だ。
一時期僕が上の子を通わせていた、
朝鮮初級学校も、とてもきつい勾配の上にあった。
子供と歩いてその坂を登り詰めた。
あの日々は自分にとって、どんな思い出なんだろう?
子供にとって、どんな思い出になったんだろう?
幼い子供たちの通う学校ハッキョの前の道路に、
横断歩道さえ整備させない、この不思議な社会の構造って?
僕はきっと「差別」のことを考えたくて、でももっとそれ以前の、
普段人が向かうこともあまり思わない、坂道の上にあるもの一般を漠然と考えている。
そこに向かうことや通うことを、日常や日課に組み込んでいる、
そんな人たちのことを、ぼんやりと考えている。
「ルナティックアサイラム」とやらについて言えば、
「これでっか?」と指をくるくる回す
そんな運転手はもう殆ど、現実にはいたりしないのさ。
安岡章太郎の『海辺の光景』の中に、
似たようなシーンが確かあったな、って時々思い出すだけさ。
最早かなり古くなったあの小説と、
今も坂の上にあるいろいろな建物、いろいろなイデーとの関係。
僕はやはり僕なりの仕方で、「坂の上」を自分に繫げてみたいんだろう。
学校ハッキョが坂の上にあった、その「ウリハッキョ」は今もちゃんと坂の上にあるよ。
ほんのひと汗の努力なんだよ。
少し馳せるだけで到達可能な、きっとこれは「思い」の持ち方の問題。
そんな、努力ですらないのかも知れない、僕にとってはやはり漠然としたままの
永遠に「ひと汗」の問題。

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