真顔で冗談を言える人 【喃喃読書日記・1】

 まちがいつづき 伊藤礼 講談社刊 1994

 真顔で冗談を言える人を近頃見ない気がする。
 うまいことや、穿ったこと、鋭そうなことを言う人や、言いたがる人はひきもきらない。
 するりと言った言葉が卑しさを帯びず、腰を据えておかしい、そういう人をなんだか懐かしく思う。
『まちがいつづき』を読んでいてそんなことを思った。

『まちがいつづき』は伊藤整の次男・伊藤礼氏のエッセイ集で、多彩な項目で編まれている。
 Ⅰはあとがきに本人記すところの「雑多な文章」で、闘病・検査にまつわる話題から、教鞭をとっていた時のこと、言葉に関すること、なぜかとても強行軍となったバス旅の取材記などが並んでいる。
 Ⅱは囲碁の章で、文壇囲碁名人戦に参加した折の戦績と、「日本文化界囲碁代表団」の一員として中国を訪問した際のことなどが綴られている。
 どの文章も飄々としつつ簡潔で、結末はストンと切り落としたように終えられている。勿体をつけたところ、まわりくどいようなところが一切無い。Ⅲでは父・伊藤整や兄妹、母のことが訥々と語られている。

 少年時代、イライラの権化のような父・整に、兄弟はよく殴られた。あまりに殴られるので、そのことをネタにして兄弟でふざけて遊んでいたりすると、それを当の父に聞きとがめられ、やっぱり殴られてしまった。
 などということが、少年期の悲惨な記憶というのではなく、それぞれの立場を含んだうえでの回想として綴られている。
 往時のベストセラー作家の、家族の話である。読んでいるこちら側には多少の意地悪さや興味本位なところがある。ところが著者が綴るところの父の印象というのは、「勤勉」であるという。三〇を過ぎても居候然としている息子(著者自身のこと)を養い、家では書斎から出てこない父。あちこち患い病床に伏している息子を、毎日やってきて二、三分だけ見舞って帰る父。
 長く無為に生きた、と自覚する著者は、そんな父に対してやましさと気の毒さを攪拌したような気持ちを抱いている。美談の厚化粧にまみれることなく、平熱と呼びたくなるようなテンションで訥々と紡がれる回想は、かえって語り手の存在を「息子」そのものとして浮かび上がらせていく。

 Ⅳでは父と交渉のあった人物たちのエピソードを描いている。「あとがき」には一応フィクションである旨のことわりがある。
「旧友」は長い年月をかけて涙ぐましいタカリを展開する、父の同郷の旧友のことであり、「運命的関係」は、自作の文芸誌への推薦を執拗に迫る文学青年との攻防を描いている。青年のものとされる長編詩、手紙文の抜粋から推するに、彼は文芸人として立ち行くのはなかなか困難だろうと思われる。

 ペンネームから「斧君」と呼ばれることとなるこの青年を、伊藤整氏は迷惑がりながらも、何度かに一度の来訪では面談に応じ、相手の言い分(芸術革命の是非だそうな)に耳を傾けたりしている。晩年に近づき、いよいよ多忙となった伊藤氏は、斧君との面談に、目的地までの電車の移動時間を当てることとなる。
 乗るのは井の頭線だ。(昭和30年代後半当時の車両がわからないので、思い描くのは現在の編成になる)久我山駅から渋谷に向けて、窓を背にして並んでシートに座るふたり。芸術革命を遂げねばならぬ、と主張する斧君と伊藤整氏は、駄々を捏ねる息子と苦虫を嚙み潰した父のようにも見えるだろう。

 斧君の存在は傍迷惑なものでしかない。今日ならストーカー防止法だとか、迷惑条例だとか、焦臭いことに一変してしまいそうな話である。そんな「事件」が何年にも亘り、風物詩のように捉えられているのが面白い。
 伊藤家の面々は、腰を据えて、座ったままで迷惑がっている。なかなかどうして、座ったままでいられるものではない。この腰の据わり、堂に入った真顔の文章に、敬服の外はないのである。

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