ドア 。       宮崎真一

 隣の部屋から、誰も見ていないだろうお笑い番組の笑い声が聞こえてくる。スタンドライトだけがぼんやりと部屋を照らしている。よくよく耳を澄ませば、遠くをクルマが走る音や、テレビの前の椅子にもたれて眠りこけている家人の鼾や、子供がパソコンのキーボードを叩く音や、壁掛け時計の音が聞こえる。体のあちこちが怠く、起きようとすればギシギシと音を上げそうだけれど、ここ2日ほどほとんど会話らしい会話もせず、多分声など出そうにもでないのだけれど、どこか神経ばかりが研ぎすまされたような、この感覚は何だろう。うつうつと横たわるこの部屋とドア一枚隔てた向こう側。テレビの音が漏れてくる向こう側は、本当に存在するのか。
 夢ばかり見ていた。最初は夢らしい夢だった。熱に浮かされてみるアフリカのサバンナ。それは次第に現実とないまぜになり、仕事場になったあたりからおかしくなった。会えようはずのない人が次々と現れ、うれしくて、うれしくて、なんだようこんなとこにいたのかよ、とか言ってるから、夢から覚めた瞬間の、夢だと気づいた瞬間の切なさが、止めようもなく溢れてくる。どこかの誰かになった自分が、今の自分になり、学生になり、中学生にまで遡った。次の瞬間目覚めた場所を確認する。この薄暗い部屋のドアの向こう側にもしや違う結末があるかもしれない、と思う。このドアの向こうに違う今が存在するのでは、と思う。ジェイコブズラダーのように、死ぬ瞬間の夢かもと思う。だがその想いも数秒で打ち消され、今という秒針の音が刻まれはじめる。
 ゆっくりと頭と肩を横向きにしながら体を回転させ、手をついておもむろに立ち上がり、小便に立った。どぼどぼと音を立てて用を足すとビタミンの臭いがした。汗をかいたせいか熱は下がったようだ。体中のありとあらゆる毛が放射される熱とともに白くなっているかもしれない。


*Comment*

「夢と現にある混沌、現代にある疲労や疲弊感、神経がたっていてちっとも休まらない感じ」そういうものがとてもたくみに表現されている宮崎真一さんの作品。読むと疲れが伝播してきて、疲れた夜の夢現に引きずり込まれそうになりました。

(榎田純子・選 2013.09.18)

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