鉄塔の島

飛行機を飛ばして過ごす島の夏 空にささりし鉄塔の棘
挿絵 竹本万亀

「航、行こうぜ」
 呼び声に窓を開けると、克也が自転車にまたがってぶんぶん両腕を振り回していた。
「悪い、寝てた。今行く」
 机の上の模型飛行機を素早くそっと掴み、リュックサックに入れる。そのままドアを開けて階段を下りた。
「行って来ます」
 居間に向かって叫びながら、運動靴を履く。
「何処行くの?」
 母さんが、玄関まで出てきた。
「飛行機飛ばしに鉄塔まで」
「暗くなるまでに、帰ってくるのよ」
「うん」
 なおざりに言って玄関を出る。克也はもう自転車をこぎ出しそうな格好で、外にいた。

「青空だな」
 克也がにゅっと笑った。飛行機を飛ばすには最適な空。航が自転車にまたがるのを待たずに、克也はもうこぎ出している。 小高い丘の上にたつ鉄塔、その下に広がるがらんと広い空き地に向かって。
 細くて急な坂道をこいでいく。たちまち全身から汗が滴る。海側から島の中央に向かうにつれ、辺りの木の丈が高くなる。島には海から強い風が吹きつける。その風に、ふもとの木はなでつけられ、なびいたような格好になって生えている。けれど、島の中央に近づくにつれ、風の影響は少なくなり、木々は伸びやかに枝葉を繁らす。
 その木漏れ日の中を進んでいくと、ぽかりとひらけた場所に出る。ここは鉄塔を建てるために開発した場所。鉄塔は島の南側三割ほどを切り取るように、等間隔に並んでいる。その中で、この場所ほど、飛行機を飛ばすのに適した場所はない。
「うぃー、疲れた」
 克也が背負っていたリュックサックから水筒をだして、ガブガブと麦茶を飲んだ。
「あ、俺にも頂戴」
「また持ってきてないのかよ」
 呆れたように言って、克也は水筒を渡してくる。そのまま口をつけて飲む。麦茶は冷たく、火照った身体にしみわたる。
 航が水筒を返す前に、克也はぐるりと張られた有刺鉄線をくぐる。有刺鉄線には、白くツヤツヤとした『立入禁止』の札と、四方がはげてさびている『原発反対』と書かれた札が並んで掲げられている。そんなことにはお構いなしに、航も有刺鉄線をくぐる。
「先にいい?」
 克也は鉄塔の下に座り込み、リュックサックを下ろして、中から模型飛行機を取り出す。尾翼が三角にとがったそれは、初めて見る物だった。
「え、新作?すごいじゃん」
「徹夜して作っちゃった。今日、処女飛行」
「すげぇ」
 鉄塔にたてかけておいた竹ぼうきで、アスファルトの上を掃く。早く飛ばしたくて、ほうきを動かす腕も自然と早く動く。
 鉄塔の下は、アスファルトで固められており、そこから草原の中を三十メートルほどアスファルトの地面がのびる。平らで真っ直ぐなここは、飛行機を飛ばすには最適だ。おあつらえむきの滑走路。そのうえ、ここは風が穏やかで、まるで飛行機を飛ばすためにつくった場所のようだ。本来であれば、原発の職員が、鉄塔を補修点検したり、島の気象を観測したりするために作った場所なのだろうが、そうした人に出くわしたことはない。竹ぼうきやビールの空箱、ボロボロの布きれ、そうした飛行機を飛ばすために必要ながらくたを置きっぱなしにしているが、誰からも咎められたことはない。
「こんなもんかな」
 アスファルトを綺麗に掃きあげて振り返ると、反対側を掃いていた克也も鉄塔に向かって歩いてくるところだった。飛行機を飛ばすには小石は大敵だ。少しの段差や障害物があっても、離陸することはできない。掃き残した小石が、アスファルトの上に落ちていないか、目視で確かめながら、鉄塔の下に戻る。
「準備オッケー?」
 克也はコントローラーを構えて、鉄塔の影の中に立っている。オッケー、と手を振ると、アスファルトの中央に鎮座していた飛行機がゆっくりと動き出す。次第に加速をつけながら、飛行機が目の前を通り過ぎる。加速がつくほどにグラグラと機体は揺れ、大丈夫かという心配が高まった時に、ふわりと離陸した。あとはもうぐんぐん高度を上げていく。そして大きく旋回し、鉄塔の方に戻ってくる。飛行機の姿を瞳にとらえたまま、克也に訊く。
「飛んだね、どう?」
「うーん、ちょっと右にとられるかな」
 コントローラーを動かしながら克也は納得いかなげに首を傾げた。
「ちょっとやってみて」
 コントローラーをうけとって、飛行機を飛ばす。たしかに右翼が下がり、とられるような感覚がある。滑空する飛行機が、意図に反して曲線を描く。
「結構とられる・・・難しいね」
「やっぱり。・・・ちょっと削るか」
 克也は航からコントローラーを受け取り、飛行機を降下させる。飛行機は山をなめるように高度を下げ、勢いよく車輪をアスファルトにつけ着陸した。がりがりと派手な音をたてて、飛行機は克也と航の前を走り去り、弧を描いて止まった。
「・・・危な・・・」
 小声で克也は言い、コントローラーを持ったまま右腕で額を拭った。そして、飛行機に駆け寄って持ち上げる。小さくて白い機体が、太陽光を受けて刹那きらりと光った。
「ちょっと調整するわ。航は飛ばしてる?」
「いや、後で良いよ。かっちゃんのを先にしよう」
 航の飛行機はもう何度も飛ばしている。その日の気流で飛び方は変わったりするが、癖も何もかも分かっている。克也の飛行機を飛ぶようにする方が、ずっと面白い。
 アスファルトのきわ、草むらが始まるところに並んで座る。克也は紙ヤスリで、右翼を削り始める。すでに薄く滑らかに磨かれている飛行機を削る克也は真剣そのものだ。
 その隣で、思いついて航はカメラをとりだした。アスファルトの上に自分の飛行機を置く。地べたに膝をつき、ぎゅっと脇をしめてシャッターを押す。自分の影が入らないように、低い体勢で前から横から下からと角度を変えて撮る。
「なぁ、航は卒業したらどうするの?」
 何気ない声に、航は膝をついたまま振り返る。克也は飛行機から顔をあげず、一心にヤスリをかけている。
「うーん、考えてないな。かっちゃんは?」
 高校一年の夏。進路希望の調査票は、高校に入学した翌日に配布されたが、航は『未定』とだけ書いた。まだ何も決められない。卒業後の進路なんて、遠い話だ。
「俺、大学行こうと思ってるんだ。それで、大学出たら島に帰ってきて、家、継ぐつもり」
「え、お兄ちゃんが継ぐんじゃないの?」
「兄ちゃん、大学卒業したら、本土で普通に就職したいんだって。島から家がなくなるのも、牛がいなくなるのも、俺は嫌だからさ」
 克也の家は島で唯一の酪農家で、牛乳の販売もしている。毎朝、航の家に自転車で牛乳を配達しているのは克也だった。
「たしかに牛乳飲めなくなったら困るな」
「だろ」
 克也は顔をあげ、航を見た。
「でも、大学は行くんだ」
「まぁ、一回は島を出て暮らしてみたいよな」
「そうか。俺は、どうしようかな」
「専門学校とか行かないの?」
「うーん・・・」
「じゃあ、そのまま漁師継ぐの?」
「うーん・・・それもな」
「なんだよ、自分のことだろ」
「だよなぁ」
 克也は呆れたように笑い、またヤスリで翼を磨く。航はその様子をぼんやりと眼に映す。
 なんとなく立ち上がり、有刺鉄線の張られた草むらに立つ。そこから海が展望できる。島の稜線、海、そして向こうには地平線と青く盛り上がった本土が見える。
 もう一度、足下から島をなぞって海へ、ゆっくりと視線を移動させる。緑色の草原、急峻な島肌、そこに傷のように茶色く道がはしり、やがて茶色が広がって砂浜になる。ざぶざぶと波が打ち寄せる浜。そして海。海を行く船。
 今はウニ漁をしている筈だ。小さく見えるあの幾艘かの船の中に、航の父が乗っている船がある。
 大人になったら、自分もあの船に乗って仕事をするんだろうか。それとも、あの海の向こうに見える本土に渡って、学校に通ったり、会社員になったりするのだろうか。
 どの未来も想像できない。
 思わず眉間に皺を寄せ、空を仰ぐ。
「航、もう一回飛ばすぞ」
 克也の声に振り返る。すでに克也は鉄塔に向かって歩き始めている。航は駆け足で、克也の背中を追いかける。
 航を待たずに、克也は飛行機を動かす。ぶーんと音をたててアスファルトの上を真っ直ぐに走り、ふわりと離陸した。そして高く、真っ直ぐに飛んでいく。
「いいねぇ」
 小さくなっていく飛行機を眼で追う。
「ばっちり」
 克也は満足げに白い歯をみせて笑った。
 飛行機は青い空を滑空する。次第に高度を上げ、白く小さくなっていく。
 その様子を二人は飽かずに眺めていた。

                                      【文:榎田純子/挿絵:竹本万亀】

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