エッセイ想紡草(その4)ーハメルーンの笛吹き男ー

ある日、駄菓子屋からの帰り道、まゆみちゃんが自転車と衝突した。
その瞬間の映像はくっきりと頭の中にある。しかし、私がその事故現場にいたのかいなかったのか覚えがない。
と言うのも、私は大人から聞いた話を頭の中で一旦映像化すると、それが本当に目撃したものなのか人づてに聞いたものなのか記憶が曖昧になってしまう子供だった。
私の頭の中でまゆみちゃんはそのまま自転車に乗せられて病院へ行き、幸い大事には至らなかったがそれ以後、軽く足をひきずって歩くようになった。
わたしのはじめての友達はいつも軽く三拍子のワルツを踊るように歩いた。
それでもふたりは手をつなぎ、駄菓子屋通いはつづく。
当時の駄菓子屋にはなにやら色のけばけばしい怪しい駄菓子やおもちゃがあった。
私たちの一番の気に入りは、紙のカードをひとさし指でこすり、親指とひとさし指をパタパタとすりあわせると指の間から煙のような白いものがたちあがるという不思議な「煙の素」で、あれは何だったんだろうと未だに不思議に思うけれど、私たちは無心に指をぱたぱたさせながら、門司駅前の散髪屋へと向かう。
散髪屋を営む彼女の両親はおおらかで、店の一隅に今で言うキッズスペースがしつらえてあり、私たちはそこで遊ぶ事を許されている。
お客がいようがいまいが、私たちはそこに座り込み、ひたすらぱたぱたと煙を出して遊ぶのだった。

母は仕事帰りに本屋へ寄ると、イソップ物語とアンデルセン、それから日本の昔話の絵本を私のために揃え、ひらがなを読めるようになった私のため、「じいさま、ばあさま」を「おじいさま、おばあさま」と書き換えた。
父は相変わらず体調が思わしくなく影が薄い。
30歳の彼がある日、めずらしく私を本屋へ誘った。
私もあいにく熱を出している最中で、だるくて仕方がない。
けれども彼は熱のある私の手をうれしそうに引き、祖父の営む一膳飯屋「はまや」から二分ほど歩いた角の本屋へと向かう。
何が良いかと父に言われ、私はともかく早く帰りたいので手近にあった「笛吹きおじさん」(ハメルーンの笛吹き男)というタイトルの絵本を指差した。
これが父に何かを買い与えられた最初の記憶のように思う。
その絵本はページ全体に透明コーティングがほどこしてあり、茶色の紙袋を胸に抱えて帰る道々、袋からたちのぼるコーティングの強い匂いで頭痛と吐き気が酷くなってしまった。
成長した後も、発熱するとぼんやりとあの絵本の表紙とコーティングの匂いを思い出した。
そしてその後ぽっかりと父の記憶がない。
あの日は宇部医大からの一時退院かなにかで、彼はもしやちょっと親らしい事をしたかったのかもしれない。
せっかくなのだから絵本を朗読などしてみせれば良かった。
しかし私は高熱を出してしばらく寝込んでしまった。
枕元に「笛吹きおじさん」を放り出したまま。

父の記憶がしばらく無いその時期、埋め合わせの様に、門司の街の記憶が総天然色映像で鮮明に残っている。
路面電車のベージュと濃茶のツートンカラー、大掛かりな菊人形展の黄色を中心とした色どり、時々やってくる紙芝居屋のおじいさんの灰色の服と銀色の自転車、彼が10円玉と引き換えに持たせてくれる透明なゆるい水飴。ゆがんで透き通る向こう側の景色。
港町「門司」はおもしろく、いかがわしかった。
日活映画館、競輪場、船着場の赤錆、それらはすべて大人たちのための景色であり、私自身とは関わりのないものという、三歳後半児にしては冷めたような、いや、遠慮深い見学者のような、要はどこか引き気味の目で世界を眺めていた。
大人たちが踊るソーラン節、畠山みどりの破れかけたポスター、着せられた浴衣の金魚柄、赤い帯のやわらかなシボ、パチンコ屋の隣の景品引き換え所、その小窓から出てくる太いおばさんの手、映画館から流れてくる不思議な人間のあえぎ声、そこかしこ赤錆びた港町特有の匂い…。

さて、パチンコ屋の銀色の玉を集めて歩いていた赤い毛糸のパンツの子供は四歳になり、やがて門司を離れる事になる。
私はまゆみちゃんにお別れを言っただろうか。
覚えがない。
mouri4
つづく

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