造本の旅人・2 『春』安西冬衛×『海峡』辻征夫

安西冬衛×辻征夫

 

かねてから「ただ一編の詩を納めた本」を作ってみたい、と思っていた。二つ折り、三つ折りのようなものでなく、表紙と本文を備えたそれなり厚みのある「本」にしてみたかった。
UVレジンというものを手にしたとき、この素材はそれを実現するのにうってつけだ、と思った。透明なレジンの中に言葉を封じ込めたらいいんじゃないか。

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うんと小さい文字を羅列するのもいいけれど、表紙を開いたとき、少ない言葉が目に飛び込んでくるのがいい。それにはすっきりとした一行の文がいい。題があって一行の詩といえば、安西冬衛の「春」にまず思い当たった。

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。  安西冬衛「春」

一冊つくり、そのままスリップケースを作ろうか、というところで、そういえば、と、これと対になる詩があることを思い出した。

  《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ  辻征夫「海峡」

文字のバランスを考えているうちに折り返しを入れて二行表記となったが、余白を生じることはできた。内部に残った気泡が水中を思わせる。

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こうなったら、二冊を別々の箱に収めることはかえってよそよそしい。
かくして安西冬衛「春」と辻征夫「海峡」は肩を並べ、一つの夫婦箱に収まることと相成った。

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「春」は安西冬衛の最初の詩集『軍艦茉莉』に収められているが、この詩集には「春」と題された詩が他にも数編存在する。また、後年刊行された詩集『大学の留守』に「韃靼海峡と蝶」「再び韃靼海峡と蝶」という詩があり(これらを読んでみると、満州時代に目にした、壁に貼られた地図にとまった黒い蝶、がこの詩の源泉なのだろうかと思う)、さらに後年詩集『韃靼海峡と蝶』を刊行している。この印象鮮やかな詩が詩人本人にとっても大きな意味を持つものだったことがうかがえる。

「海峡」は『俳諧辻詩集』に収録された一行詩であり、『貨物船句集』に収録された俳句でもある。
『俳諧辻詩集』は詩の一行目、または一部に俳句を内在させた作品から成る詩集で、ただし「海峡」の本文は、この一行を持つのみなのである。
ところで『貨物船句集』の「貨物船」は辻征夫の俳号である。句集に収録された小沢信男の文によると、辻の俳号ははじめ「蕪山村(ぶさんそん)」といい、後年には「茫野(ぼうや)」を名乗ることもあったという。句会の連衆はこぞって「貨物船」を良しとした、と書かれているが(「貨物船が往く——辻征夫よ/小沢信男」より)その意見に私も賛成を唱えたい。俳号はご立派なものになってはいけない。かといって見苦しいのも、名乗られるほうがつらい。飄々として、粋で、母音を行ったり来たりするところ、五音なのもいい。いいことずくしの俳号を冠した『貨物船句集』なのである。

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[DATA]
本体 W34.5 D45.5 H15
夫婦箱 W78 D57 H21(mm)

本体 表紙・見返し ローマストーン オールド 100g/m
本文外張/内張 ビオトープ ダークブラウン/ハーフエアコットン<55>
函 製本用クロス B織(marumizugumi
函内張 GAコットン えんじ

表紙 レーザープリント/黒箔(スタンピングリーフ)
本文 フイルムにレーザープリント/UVレジン

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