枇杷の木

青い枇杷の実が父の頭に当たり
皆で笑った
手応えのある毬のように
弾む毎日だった
子らの汗を拭い
木陰にプールを設え
桃の葉水を汗疹に塗り
三度の食事を作り
シャツを風にさらし
北から南の部屋に向かって
埃を追い出しにかかる
家族の寝息を聞きながら
小さな灯のもとで詩を書いた
それは 
何かの拍子で本流からはぐれた
小川の澱みに
小石を投げ込む作業のようなものだったが
私は 輝くばかりに 
そのままで若かった
いずれの別離わかれなど 片隅にも湧かず
余所の出来事くらいに思っていた
私が笑えば
部屋の隅まで光で溢れ
庭の草木でさえ
事もなげにすくすくと伸びた
夏は さみどりの日陰をつくり
家族は そのもとに集う
私には 
擦り寄るかげりを寄せ付けない 
力が備わっていた
遠い日
空っぽの藤籠のように 素朴に
軽々と 私は生きていた

唐突に 
裏庭の枇杷が立ち枯れた
父が病み 母が病み
心は 白い病室に住むようになった
子らは 自らの足で立ち
歩いて出ていった
枯れ果て 倒れた枇杷の樹根に
シロツメグサが咲くのをみつけ
私は 幼子のように
時というものの正体に目を瞠った
日ごとシロツメグサが群生し
枇杷を呑み込んでいく
夥しく 風にちらちらと揺れ
眩暈のような明滅に目が慣れると
枇杷の不在は すでに日常 

こういうことでしたか。
木々が倒れて 視野がひらければ
見わたすかぎり 原始の野

口の端から甘く滴る 
目にも鮮やかな枇杷の実の 
種を頬張っては
縁側から飛ばしあった
笑いさざめく晴れやかな庭を

私は
それでも
歩いていく

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