このわが馴染んだ岬に車輪よ三度至れ

  一、

  1.

 W県の西南端に位置する半島の付け根部分にちょこんと建つ「パラサイト・リゾート・ホテル」の一室に閉じ籠って、私はこの書き物を書き始めようとしている。ホテルの目の前には、私の見慣れない、白っぽい光を帯びた俎板のように平板な太平洋が、水平線の彼方まで、遮るものもなく広がっている。「リゾート・ホテル」という名前とは裏腹に、ここは小ぢんまりした、いわば、少し大き目のペンションである。穏やかな傾斜の切妻屋根からは、多分装飾であろう、二本の煙突が突き立っている。両親が健在だった私の少年期に、我々はここを家族旅行の定宿にしていた。家族旅行と言えば、この「パラサイト」だった。あれから二十数年が経つ。あの頃は、我々家族の最高位に、厳格なる父が君臨していた。父が母や私を所有していた。父に所有されていた母…。だが、結局のところ、母も父の絶大なる君臨を積極的に承認していたのだろう。父はよく、幼い私を、子供が玩具を扱うような粗暴さで以って扱ったものだ。その光景を母も笑いながら眺めていた。当時の私は義憤を感じながら、自分の無力さが腹立たしかった。幸福とは、犬のように盗み食うものだった。時は移ろい、今、全ては過去となった。
 川のような時の流れを前にすると、人間の存在が押し並べて、作中劇のような、あるいは、儀式の一工程のような、無味乾燥としたものに感じられて来る。この時の流れ自体が、一個の大きな劇や儀式に過ぎない。輝いている太陽ですらも永遠ではない。だが、私は、その「太陽」を永遠たらしめんと試みる。ある人々にとっては、「永遠」や「不滅」などは、論じるまでもない、証明するまでもない事柄である。彼らには、物質のような確かさで以って、「永遠性」や「不滅性」がありありと感じられるのだ。私がこれまでの人生でして来たのは、「感じる」という行為の、いわば、訓練だった。私は生まれながらの「不感症」だった。
 私は、女性と寝る度に、暗澹たる気持ちに襲われた。いつも、〈こんな筈ではなかった…〉と、事後に後悔し、自責した。だが、私は事前に何を期待していたろう? 自分の期待が外れる、裏切られると分かっていながら、私は女たちと寝た。太陽が見えるからといって、太陽に手の届こう筈がない。私は訓練していたのだ。女と寝ることによって、女と寝ることを。愛するという行為を。自分でも無駄な足掻きに思われた。肉体が在って、精神や感情の運動が在るのか。それとも、この欲望が、私の肉体を規定しているのか…。現実はそんなに単純化出来る構造をしていなかった。精神と肉体は、両者がお互いに作用し合ってもいた。
〝パラサイト〟――居候、仮住い。私は書き終えたこの原稿を携えて、自分が本当に暮らす、あの古びた家に戻らねばならない。そのとき、わが「太陽」は永遠となっているだろう。

  2.

 午前のぎらつき始めた陽光の下に立って、モルタルで出来た「ホテル」の基礎部分を見つめながら、私は考えていた。〈何故、「太陽」なのだろう?「太陽」でなくてはならないのだろう?〉モルタルの壁面を右往左往している一匹の黒蟻。私の目には、その姿が、ルーペを通して見たように拡大されて映り、その脚や触角までもがはっきりと観察された。この一匹の虫が何を求めて彷徨しているのか、私には特別な興味はなかった。今にも、鼻の下だけにちょび髭を生やした、ルイ・ナポレオンのように短足で太っちょの「ホテル」の主人が玄関から飛び出して来て、私にこう告げそうに思われた。「お母様から電話が掛かっております。至急フロントにお越し下さい!」――だが、そんなことは起きよう筈もなかった。「ホテル」の主人は、別にルイ・ナポレオンになど似ていない、どちらかといえば痩せた長身の男で、ちょび髭ではなく、下顎全体にふっさりとした髯を蓄えている。食堂室で軽い昼食を済ませて、私は今、自室でこの原稿に向かっている。アルコールは飲まなかった。開け放った窓からは、太平洋の群れなす白い波頭が見渡せる。
 実を言えば、この「パラサイト・リゾート・ホテル」は、私がかつて知っていた、あの「パラサイト・リゾート・ホテル」ではない。数年前に建て替えたのだろう、場所と名前だけが同じで、外観も間取りも、勿論内装も、全く新しいものに変わってしまっていた。だが、私の二十数年前の記憶には、はっきりとしない部分も多い。当時のあのちょび髭の主人は、一体どうなったのだろう? 現在の顎鬚の主人に尋ねてみればいいのだが、今の私には、人との会話が億劫だ。当時の「パラサイト」がどんな外観をしていたのかでさえも、私の記憶はぼんやりしている。
 よくよく考えてみると、私には、母に本気で激しく叱られた記憶がない。私が甘やかされていたわけでもなかろう。私が、叱られるべき「いけないこと」を全くしなかった、というわけでもあるまい。父は暴力的な圧政を敷いた。母は、精々、「いけないね、悪い子だよ」と言いながら、私の頭に手を置く程度だった。母の手が私の頭髪を撫でるだけで、私は喜悦の感覚に包まれて、全てを忘れてしまうのだった。「忘れる」…。忘れないために、人は、書き留めたり、ある品を取って置いたりする。私は全てを捨てて来た。記憶だけが、このあやふやになる記憶だけが、現在の私を支えるただ一本の柱だった。記憶は、しばしば無意識によって、改変され、偽造される。構わない。私が求めているのは、過去への確かさではない。「今なおここに在る『太陽』」を、「『太陽』をここに在らしめる」ことを、私は求めている。それが改変され、偽造された「太陽」であったとしても、ここに「在る」ならば、一向に構わない。やがて訪れる私の滅びと共に、私のこの記憶も消えてなくなるだろう。そのとき、この書き物だけが残されるだろう。私は生まれて初めて、自身の行動について、こうして書き留めようとしている。新しい「パラサイト」に、かつての「パラサイト」を偲ばせる面影は、微塵もない。

  3.

〈何故、「太陽」なのだろう?〉
 結婚当初、妻は泣きながら私を責めた。「どうしてお母さんなの、お母さんだけなの!」――多分、当り前の感覚だった。フライにするための卵とパン粉を、開いた鰺に付けながら、私が通い付けていた店のマダムは言った。「きっと、あなたを産んで育ててくれた人だからね」――否、それだけではなかった筈だ。(ここで初めて打ち明けるが、これは私の母についての書き物である。母に対する私の欲望についての…。)
 世界は複雑で、私の欲望はいつも単純だった。あるいは、その逆かも知れない。自身を圧倒して来る世界を前にして、私の精神も肉体も、お互いのお互いに対する在り方が、かなり捩じくれた状態になってしまっていた。それが常態化していた。――「叶わない。だから、叶っている!」…。私の精神と肉体が捩じくれれば捩じくれるほどに、世界は、更に圧倒的なものとなって私に迫った。世界の圧倒に対して、私は自身を武装する必要があった。私は、「万物は流転する」という思想の中に、即ち、「正しいものの『正しさ』も一時的なものに過ぎない」という考え方の中に、誤った普遍性を見出し、その誤りを認識しながら、敢えてそれを自らの「真理」とした。ある人々は、これを「逃避」と呼ぶだろう。ネズミは、袋小路や片隅に追い詰められて初めて、猫に牙を剥く。私は、「牙を剥く」ために、自分をいつも袋小路に追い詰めていた。自分を追い詰めていたのは、まさに私だった。圧倒的な世界に対して、私は常に対抗していたのだ。
   ×   ×   ×
 この「時の流れ」、この一個の大きな劇は、本当に終わってくれるのだろうか? この書き物を進めて行く過程で、実際の太陽に向けて航行する宇宙船のように、私は何処かで蕩けてしまうかも知れない。だが、それこそが、私の真に切なる願いである。どうか、この書き物が、最終的には、蕩けてしまった宇宙船の航行記録とならんことを。
 では、この物語を始めて行くことにしよう。深夜、「パラサイト・リゾート・ホテル」の一室で、こうして、「肉」を巡る「肉」の独白は、その最初の一行を書き始められる…。

  二、

  1.

 よく晴れた水曜日の朝だった。私は母と並んでバス停のベンチに腰掛け、永いことバスを待っていた。バスはいつも時間通りに来ない。私は両脚をベンチの前に投げ出し、光り輝く道を過ぎて行く車の列をぼんやりと眺めていた。母はじっと縮こまるようにして、膝の上で手を組んでいた。
 前夜に母は腹痛を訴えて、飛び込みで近隣の内科医を受診した。しかし、腹痛の原因は判らず、気休めの整腸剤が処方され、紹介状が書かれ、翌日のその日、町の郊外にある総合病院で検査を受けることになった。昨夜も母に付き添っていた私は、帰省中の妻に電話を掛けた。
「母さんの具合がひどく悪いんだ…」私は電話口で泣いたかも知れない。
 空車の白いタクシーが通り掛かった。私は立ち上がり、タクシーを停めるために片手を上げてひらひらさせた。タクシーが停まった。母が先にゆっくりと、私はさっと座席に乗り込んだ。ドアがバタンと閉まった。私は運転手に行き先を告げた。タクシーは走り出した。
 タクシーは住宅地を抜けて丘陵に出る。一面の緑が陽光に眩しく輝いている。私は母に声を掛ける。
「病院に行ったらすること。検査、検査だよ。どれくらい掛かるか分からない。多分長く掛かる」
「分かってるよ」母は、窓から流れて行く景色を見ている。窓が数センチ開いていて、入り込んで来る風が、母の耳の上の髪を撫で付ける。
「お腹は痛む?」
「痛むよ」
 タクシーの運転手が尋ねる。「四十四号線をずっとですかい?」
「うん、そう」
 それから十分ほどで、タクシーは病院に到着する。

「ママ!」私は叫ぶ。私はしなやかに射精して目覚める。この夢にどんな意味も求めたくない。きっと意味はない。精液で濡れたブリーフを、私は夜の洗面所で洗うだけだ。
 妻と初夜を交わした翌朝、私は自分の運命を呪わなかった。二年前のことだ。私は孤独ではなかった。太陽は輝いていた。私の若さを責められたくはない。若さは過ちではない。いくらでも太陽は輝くし、夜になれば人は街に集まる。
 暴力が組織され、革命が起こる。民衆は狂喜する。闘士たちは誇らかに凱旋する。しかし、何故に皇帝は処刑されねばならなかったろう。果たして本当にその生は罪か?
 妻は夜の台所で泣いていた。私には掛ける言葉が見付からなかった。この生のためにどんな罰を受けることも厭わない、私は本気でそう思った。しかし、真の赦しを与えたのは妻だった。私はひっそりと泣き止んだ彼女を抱き、この小さな女性を愛そうと誓った。たとえ、本当には愛せないとしても…。
「ママ!」夢の声が響く。若い母。艶やかな裸体。支配への憧憬。揺れる向日葵。
 叫んでいる私は幼いのだ。そのことに、私は今更ながら驚く。どんな運命だろう、欲望は成就され、私はまたもや濡れたブリーフを己の手で洗う破目になる。ぽつんと明かりの灯った夜の洗面所で、私は宿命の不可思議を思う。

 検査が終わると、私は母の担当医から、母とは別に呼ばれた。私は診察室に通された。担当医は四十絡みの男で、恰幅が非常によく、大きな白衣をだぶだぶさせながら着ていた。私は理由もなく気詰りを感じた。担当医のデスクの前の白板に黒いフィルムが四枚クリップされ、裏から照明が当たっていた。
 担当医は私に「どうぞ掛けて」と言った。私はスツールに腰掛けた。
 彼は母が癌に侵されていることを至極あっさりと告げた。
 彼は回転椅子をぐるりと回して白板に向き直った。そこにクリップされたフィルムはCTで、それらが母の輪切りにされた身体の像だと彼は説明した。
 担当医はまたこちらに向き直った。
「お母様には告知されますか?」担当医は尋ね、私の顔をじっと窺った。
 しかし、私はすぐには答えられなかった。衝撃だった。母が癌…。私は片手で両の瞼を覆った。自分がどうすればいいのか、皆目分からなかった。スツールを蹴って席を立ちたい衝動に駆られた。担当医は象のような首を伸ばして、固い蕾のような瞳をぎょろりとさせた。
「病院は疲れる」病室で母が言った。母の即日入院が決まった。
 母はベッドに横になっていた。来客用の椅子に掛けていた私は、腕を伸ばして、胸の上で組み合わされた母の手に自分の両手を重ねた。六人部屋の、母の窓際のベッドからは、病棟のくすんだ中庭が見下ろせた。向かいのベッドではテレビが点けっ放しになっていて、中年の女性が大きな寝息を立てていた。白い敷布の上に、細長い黒い髪がぐるぐると渦を巻いて広がっている。
 母はミルクが飲みたいと言った。「ミルクはもうすぐ食事で出るから」と私は言った。それまで我慢出来るか、と私は尋ねた。母は頷いた。
 私は言った。
「一旦今日は帰る。明日また来る」
 母の着替えを畳んで、家に持ち帰る袋に入れた。時刻は午後四時を回っていた。中庭を患者たちが散歩しているのが、去り際に振り返った窓から見下ろせた。
 帰りのバスはすぐに来た。町と丘陵の上を、夕暮れの気配が包んでいた。

 高架の下を、列車がガタタと音を立てながら潜り抜けて行く。町に夜の蓋が被せられ、街路灯が路面を照らしている。夜の蓋は分厚く、月も星も見えない。湿気を含んだ厚い雲が空を一面に覆っているのだ。私はのろのろと道を歩いて行く。マダムの店がやっていて、私は鈴の鳴るドアを開けて中に入る。店の中はすごい熱気と煙だ。私がカウンターの椅子に腰掛けると、野球キャップに作業着の痩せた男が私の隣にやって来て、私の肩をばんばん叩き、腰を擽る。彼は私の尻にも触って来る。女の子が来て注文を取る。私は定食と安いワインを選ぶ。マダムはカウンターのあちらの奥で、客の男と喋っている。私がずっとその方ばかり見るので、彼女はこっちに目配せを送る。くらげみたいな笠の付いたライトが十ばかり、このすべてを白々しく浮き上らせている。漂う紫煙が遠くをぼやけさせる。私は、カウンターの上に自分の両手の指を並べて、繁々と観察してみる。右手の人差指と中指の内側が、煙草の脂で茶色く汚れている。私はその部分を、ハンカチでごしごしと擦ってみる。それから、爪を丁寧に一つずつ磨いて行く。定食とグラス・ワインが運ばれて来て、私はワインを一気に飲み干す。マダムは今夜は赤いドレスを着けている。店員の女の子は片隅で、銀の円盆を胸に抱き締め、所在なげに立っている。茸の野菜炒めが出来上がって、厨房から、女の子を呼ぶコックの怒鳴り声が聞える。私は瓶ビールを更に注文する。マダムが膨らんだ腰を振りながら漸くこちらに来て、お母さんの具合はどうかと私に尋ねる。私は一言二言答える。鈴の鳴るドアが開いて、三人連れの男たちが入って来た。彼らはテーブル席に座った。女の子が、水の入ったコップを円盆に載せて、行ったり来たりする。やがて、ざわざわという店内の音が、自分の身体の内側にも共鳴して感じられる。私は、マダムの店では、一人でも二時間半はいられる。

 三日間母の病院に行かないでしまった。私は小屋のチャボのように閉じ籠った生活を送った。私が病院に行ったのは火曜日、母の手術の当日だった。朝は東から明けて来ていた。私は午前五時にコーヒーを啜り、五時半に髭を剃った。朝食は摂らなかった。庭に椅子を出して、柵の向うを眺めながら煙草を吹かした。手術の始まる時刻は午後一時だった。午前中は母に面会出来ると思うと、私は憂鬱を感じた。柵のあちらを犬が這って行った。出勤して行く人の顔が見えた。またバスに乗らなければならない…。大分通り慣れた道を、私は車内で揺られた。バスは埃のような朝の光を巻き上げて走った。緑は相変らず輝いていた。丘の上で、車窓から、病棟の並んでいるのが小さく遠望された。それは、ボール紙で出来たマッチの箱のようだった。だんだんと遠近法で近付いて来る。私が病室に入って行くと、母は丁度トイレに行っていて不在だった。私は空っぽの寝台を見つめた。掛け布団が捲られたままで、白い枕には、母の頭の窪みが残っていた。
 母は、その朝は大変明るい表情をしていた。私が来たことをひどく喜んだ。私は、三日間も母に顔を見せなかったことを、今更になって後悔した。今日は手術だ、と母は言った。そうだ、と私は言った。不安はないか、と私は尋ねた。不安はない、と母は言った。それはよかった、と私は言った。簡単な手術だ、と私は言った。簡単な胃潰瘍の手術だ、と。私は嘘を吐くことを恐れなかった。しかし、また憂鬱を感じた。母のためなのだ、と私は自分に言い聞かせた。
 担当医が来た。彼も簡単な手術だと言って母を励ました。母への手術の説明は既に終わっていた。担当医は象のような首をボリボリと掻きながら、おどけた冗談を言って母を笑わせた。私は傍らで、彼の出張った腹部に見入った。母の簡単な手術が始まる。担当医は、分厚い薔薇のような唇を窄めて、「さあ」と声を掛けた。母が頷いた。「行って来るね」と母が私に言った。手術室の扉が、ガチャンと冷たい音を立てて閉まった。午後一時だった。私は一階の食堂に行き、喫煙室で煙草を一本吹かした。母の寝台はこうしてまた空になった。
 二時間半後に手術室の扉が再び開き、最初に担当医が出て来て、廊下で待機していた私に、手術は成功した、と紅い顔で得意気に告げた。車輪の付いたベッドに乗って続いて出て来た母は、頭にシャワー・キャップのようなものを被り、首から下をビニール革のシートに覆われて、仰向けに寝台に横たわったまま昏々と眠っていた。四時間もすれば麻酔は醒めるだろう、と担当医が言った。私はひとまず安堵した。本当に簡単な手術だったのだ。
 手術の一ヶ月後に母は退院した。術後の経過は頗るよかった。

  2.

「痛い、痛い!」
 身体に沢山の管を繫がれた母が、掠れた声で叫ぶ。叫ぶ度に母の足がベッドの上でびくん、びくんと跳ねる。私はベッドの端に立って、そんな母を茫然と見下ろしている。
「痛い、痛い!」夢の中で繰り返される母の声。これは母の末期、実際にあった光景だ。それが今、夢となって怒号のように私に再生する。その光景に再び立ち会わされた私は、あのときのようにやはり煩悶を覚え、困惑している。
 あの時期、私は足繁く母のもとに通ったが、彼女の意識は既にモルヒネで朦朧としていて、私をさえも認識出来ないほどだった。母は自分の痛みとの格闘のうちに閉じ籠り、彼女の顔は終始苦痛に歪められていた。担当医が二匹の絶命したオタマジャクシのような瞳で以って、点滴のゆっくりと滴る雫を凝視しながら、「ひとおつ、ふたあつ!…」と指を立てて声高に数え上げた。そうすると、母の痛みは気休め程度には楽になるようだった。しかし、彼女がその痛みから本当に解放されたのは、実に死の間際、意識を失ってからの数時間だけだった。
 夢の中で今もあの声が響く、「痛い、痛い!」、あるいは「助けて!」。法螺貝のように場を威圧して響く「ひとおつ、ふたあつ!」…。
 助ける? 私に母を助けることなど出来るだろうか? 暗闇に目覚めてからも、私は不快な汗を感じながらぼんやりしていた。深淵へと繫がる暗い穴を目の前にして、私の心はたじろいでいた。生の最後を終えようとしていた母の求めた助けとは…。その声は今、不可能性の絶対的な威厳に満ちて夢の中に響く、「痛い、助けて!」、あるいは「殺して!」。
 もう二度と戻らない、巻き戻せない不可逆な時間の流れ。絶望に近い私のこの感覚は、そこに却って小さな安寧を見出す。まるで断崖の途中に猫の額ほどの広さに空に突き出た花園を見付けるように。過ぎ去ったあの光景が再生するのは、所詮夢の中でしかないということ。私は牛のように何度もあの光景を反芻する。「痛い、痛い、殺して、殺して!」
 私はあるいは夢の中で、母をもう一度殺し直しているのかも知れない。現実には叶わなかった唯一の能動的な行為。受け身で待つことしか出来なかったあの日々を思い出し、なぞりながら、私は、実にそのとき自分の待っていたものが何であったかを痛切に知っているのだ。私は顔を青くしながら、ただただあの苦しい時が終わることを切望していた。ぱんぱんに浮腫んだ母の脚をさすりながら、自分が顔を背けたいと思っていることを知っていた。だが、待ち望んだその終わりは、ひどく緩慢にしかやって来ないのだった。
「痛い、痛い!」管に繫がれた母、茫然と見下ろす私。その光景は今、稲光に照らされたように鮮烈に私の脳裏に蘇る。「助けて、助けて!」
 目覚めると不快な汗が私を覆っていた。一瞬、叫んでいたのは自分なのではないかという錯覚が私を捉えた。肌を這って過ぎて行った沢山のなめくじ。私は、自分のうちに鈍く重たい感覚を感じた。だが、同時に虚しくもあった。私はやはり知っていた、これらすべてが結局は私の想念に過ぎないのだということを。それは根源的かつ絶望的な救いだった。死者は安全な、生者の手の届かない彼岸に在る。私は自分を覆った眩しい光景が引き波のように引いて行くのを感じながら、汗だくの闇にぼんやりと横たわっていた。

  3.

 霧のような細かい粒の雨が小止みなく辺りを包む日曜日に、短くも長い葬儀が粛々と執り行われた。母の教え子の女子生徒たちの差す色取り取りの傘が、紫陽花の花のように濡れそぼっていたのを覚えている。もう他は殆ど何も記憶していない。土が被せられ、最後の祈禱が唱えられ、参列者たちの傘が散り散りに散って行った。蒼褪めて棒のように突っ立っていた妻は、何かに凍えていたのだろうか? 黒服に身を包んだ人たちがやって来ては、私に何やら声を掛けて去って行った。私には、全てが無声映画の中での出来事のように思われた。土の上に撒かれた白い花弁が、濡れながら朽ちて行くようだった。
 感情とは何だろうか? 極度の感情とは、混乱と、茫然自失と、涙の不在。私はあの一日を今辛うじて思い出せるのだが、驚いたことに、私はあの日一滴も泣かなかった。否、泣くことさえ忘れていた。私はぴんと背筋を伸ばしたまま、あんぐりと口を開けて放心していた。母の死とは、私の理解の範疇を越えた一個の事態であり、それを私が内部に消化することは凡そ不可能だった。それを目の当たりにした私には、感情など惹起されなかった。その感情の不在こそが、まさに極度の、字義通り極度の感情だった。(私はやはりそれを「感情」と呼ばざるを得ない。)神経は張り詰め、しかし何も伝えない。だから神経は弛緩しているに等しい。私の頬の筋肉は弛み、私はあんぐりと口を開けていた。耳を聾する叫び声は最早聴覚に作用しなくなる。私は叫んでいたのだろう、声なき声を。声を限りに…。

 トントンと私の腕をつつくものがあり、私は目覚めさせられた。カウンター越しにマダムが私の顔を覗き込んでいた。そんなところで寝たのじゃ風邪を引くわよ。分かっている。帰りたくないのだ。でもね、お店を閉める時間なのよ。私の他に客はいなかった。女の子がいつもの片隅でエプロンを解いている。私の前に置かれたウイスキーの一瓶が殆ど空いていて、残っている琥珀色の液体が、底の方で鈍い光を放っていた。私はぼうとする頭で勘定を済ませ、コートを羽織った。気持ちは分かるけれどね、気落ちしては駄目よ。マダムが言った。ドアの鈴がからからと鳴った。
 強くなった雨は暗い空から降って来ていた。私は水溜りを蹴散らして歩いた。クラクションがパンパパと響いて、速度を出した車が私のすぐ脇を通り過ぎた。雨水が音を立てて側溝に流れ込み、濁流をつくっていた。傘の縁から滴る雫が私の肩先を濡らした。高架下で、私は傘を開いたまま下に置き、一服付けた。胸に蟠るものがあった。
 パトカーが徐に傍らに停まって、助手席のウィンドウが下がった。
「何をやっているのかね?」中年の警官がウィンドウ越しに尋ねた。
「一服付けている」
「大分飲んでいるね。家までちゃんと帰れるかね。家は?」
「ああ」私は曖昧に答えた。
「飲み過ぎはいかんよ」
 警官は片手を「もういい」と合図するように振り、パトカーはまたゆっくりと走り去った。私は煙草を地面で揉み消し、再び傘を手に取った。確かにかなり酔っていた。

 自分が暗い家に帰るだろうという予感が、それだけで私を憂鬱にする。母がこの世界に最早存在しないという、覆しようのない事実。私は悪夢のような回想に落ち込む。タクシー。検査。再発、再入院。私だけが立ち会った最期――それは極めて呆気ないものだった。
 呼吸が次第に間遠くなって行き、最後に心臓が止まった。担当医がすべては終わったのだと宣告した。母の唇がみるみる色褪せて行った。
 担当医は言った。
「すべては終わったのです。このベッドも空けてもらわねばなりません。午後には新しい患者が入ります」
 私は言った。
「十一時に葬儀社から迎えが来る予定です」
 担当医は頷き、片手でもう片方の腕を触った。
「ご覧なさい、とても穏やかな顔をしている。モルヒネのお蔭ですな」
 私は担当医にこれまでの礼を述べ、彼がミミズの這い回ったような字で書き殴った死亡診断書を受け取った。窓口が開くのを待って、会計を済ませた。領収書が切られ、それはまるで商売のようだった。不意に私を、筆舌には表し難い感覚が襲った。空虚――否、あらゆる感情の嵐とでも言おうか? 私はリノリウムの床にどうと倒れ伏したかったが、理性が辛うじてそれを持ち堪えていた。出口を失った慟哭が私の胸のうちを吹き荒んでいた。私は震える指で領収書を財布に仕舞うと、母の待つ病室へと、階段を一段一段踏み締めて上った。
 死後硬直に備えて母の身体は水平に寝かされていた。顎から頭にかけてはタオルでぐるりと縛ってあった。これは口を開いたまま硬直しないようにするための処置だ。時刻は午前九時を回ったばかりで、母が息を引き取った明け方から数時間が経過していた。私は徹夜明けではあったし、朝食も済んでいなかったが、今は何かが喉を通るような気分ではとてもなかった。それでも、売店で買ったサンドイッチを少しだけ口にすると、椅子に掛けたままの姿勢でうつらうつらした。葬儀社は予定していた通りの時刻に迎えに来た。母の身体が棺に移されて担架車に載せられ、我々は暗い廊下を抜けて、専用のエレベーターで一階に下がり、病棟の裏口に出た。庇の下に葬儀社の黒塗りの車が待機していて、母の入った棺は後部の荷台に積み込まれた。私も乗り込むと車は出発した。私は窓から、最後まで付き添ってくれた二人の看護婦に会釈した。車は丘陵の道を走って行った。万事は整然と進み、町には朝の光が溢れていた。

  4.

 市庁舎の時を打つ鐘の音が、青空の中を遠く運ばれて来る。私は港の公園のベンチに腰掛けていた。ベンチから歩道を隔てた柵の向うに海があり、波が柵の下でたぷたぷと揺れていた。土曜日だった。公園の端には沖合いの小島へ連絡する船の発着場があり、人で賑わっていた。皆週末を楽しんでいるのだ。赤いリボンを結えたお下げの少女が、母親に手を引かれながら私の前を通った。犬を連れた老人が通った。老人は向うまで行くと引き返して来て、私の隣に座った。ビスケットをビニールの袋から取り出して犬に投げ与えた。犬はダックスフントの混じった雑種だった。老人はこちらを向くと、「お一人かね?」と私に声を掛けた。私は頷いた。
「こう暑くちゃ堪らんね。そこへ来て、こいつは毛皮を着とる。なお堪らんさ!」
 老人はぽんと犬の頭を叩いた。犬は舌を出して老人を見上げていた。
 私は正午にカフェに入り、定食とサワーを注文した。定食を半分食べたところで、ビールを追加した。ウェイターは衝立の陰でこっそりと首の汗を拭っていた。店内は混んで来てざわざわしていた。斜め向かいのテーブル席に、あのお下げの少女が座っていた。彼女もこちらに気付いているらしく、スパゲッティをフォークでぐるぐる巻きながら、私の方を極力見ない素振りをしていた。その実、私の方ばかりちらちらと見ているのだった。私はテーブルの下から覗く彼女の脚を眺め、パンプスがトントンと床を跳ねるのを観察した。少女の母親がそれに気付き、彼女の脚を軽く打った。私は慌てて目を逸らした。天井でゆっくりと扇風機が回り、クーラーの余り効いていない、気怠い店内の空気を攪拌していた。私は白飯を残したまま、代金の支払いを済ませ、店を後にした。
 午後の灼け付くような日差しが通りに注いでいた。私はアルコールで重くなった身体を引き摺って歩いた。ただでさえ汗が噴き出して来るのに、通りには建物の影も落ちていないのだった。私は少女の赤いリボンを思い浮べた。彼女のフリルのスカートが頭の中でふわふわと揺れた。私はマダムに会いたいと思った。また喉が渇いた。少女の母親が彼女の脚を打った光景を思い返して私は苦笑した。少女は十二、三才だろうか? いずれにせよ、まだ幼い。私は妻を思った。額から垂れる汗をハンカチで拭った。通りは次第に繁華になり、やがて広場に出た。広場はこの町の中心に当たり、そこから輻のように街路が八方に延びていた。馬に乗り槍を持った男の像が、広場の中央に据えられている。車の群れがぐるぐるとその周りを回っていた。憐れむべき馬は、前脚を上げたままの姿勢で空中に固定され、男は馬上で危いバランスを保っていた。見えない敵に向かって虚空に突き出された槍。半世紀もこうして町の往来を見下ろしていた間に、男の身体には幾条もの白い風雨の染みが浮び上っていた。馬だってきっと疲弊していた。車の群れは、この像の周囲を一方向に回りながら、それぞれの街路へと古い車を吐き出していた。新しい車を次々に吸収するので、いくら古い車を吐き出しても、その流れは尽きることがなかった。私は不意に物悲しくなった。少女の細い腕、白い首筋、未熟な胸が頭に浮んだ。私は彼女が発散する汗の匂いを思った。打たれて椅子の下にすばしこく引っ込めた両脚。あんな少女を連れて歩くのはどんな気持ちだろうか? 多分、得意な気分にもならないだろう。彼女は連れて歩くには余りにも子供だった。そんなことを考えながら車の群れを眺めていると、私の両目は眩しさでくらくらした。ぎらぎらと輝きを放ちながら周回を続ける金属製の魔獣たち――その中心の馬上で、永年に亘って厳めしい風貌を保持し続けるあの男は、サディスティックな「調教」の、根っからの狂熱的な趣味者に違いなかった。

  5.

 私の記憶の中で、母はいつまでも少女のようだ。このイメージは誰にも傷付けられない。欲望は常に罪の意識と背中合わせだった。私は幼かったあの日を覚えている。午睡から目覚めて、私はぼんやりした意識で、布団から母の後ろ姿を見つめていた。母は机に向かって書き物をしていた。この光景の何処に欲情が潜み得ただろう? だが、私は確信していた。自分は一生この感覚を引き摺るだろう。奴隷。若い母は永遠に主人なのだ。恍惚が幾重にも波のように寄せ、私の脳はどくどくと脈打った。母に振り返って欲しい。私のこの眼差しを感じて欲しい。泣いたように瞼が痺れ、私は叫んだ、〈ママ!〉。全てが幼さで赦された時代を、後年どれほど懐かしんだことだろう。この感覚を把持することは、不断の戦場に在るようだった。背徳。原罪など在り得ないのだ。少なくとも私の場合、罪の意識は自身の思考と行為のみから発生する。しかし、如何ほどの喜びも伴っていることか。許されざる限界まで歩み近付くこと。口にしてはならない果実を凝視すること。母は振り返って、微笑みながら私の名前を呼んだ。唇が大きな薔薇のように動いた。粘膜が布で擦れるような喜悦と痛みが走った。私の頬を包む柔かい手。私の体は震えて泣きそうだった。胸がひどく狂おしかった。
 愛は全般的な感情だから、理解が困難である。人は複合的な情態について語るとき、しばしば一時的な混同を行う。即ち、愛は願望である。よりよく生きんがためのよりよき生というパラドックス。それはさながら自分の尻尾を呑み込んだ蛇だ。願望の結果が愛として結実する。幼い私は母を見つめながら、母が自分に気付いて欲しいと望んでいた。祈りながら母に熱視を捧げた。驚いたことに、これは愛ではないのだ。実のところ、愛は単純な願望ではないから。愛は培われ、報われて達する高次の精神である。それは人間の関係性のうちに宿る。注意すべきなのは、それが複雑な情感を伴うということ、その情感の上にしか成立し得ないということである。私の身体は熱くなる。愛とは私の頬を包んだ母の手であり、そのとき私もまた初めて愛たり得た。この地上に全的に赦されて在るという事態。幼い私は感謝したろうか? 否。愛の海に首まで浸りながら、愛を求めてひたすら踠いた。その度に赦しの手が降りて来て、私の頭を優しく撫でた。このことに気付いたのは後年だった。赦された罪は量り知れなかった。
 母の死は、私の精神に一種の真空状態を齎した。それは太陽の失われた世界、光の不在だった。私は茫然として事態に臨んだ。感情の歯車のカラカラと空回る音が聞えるようだった。スクリーンには意味を成さない像が次々に映し出され、入れ替った。それはランダムに選び出された記憶、基盤から遊離した感覚の束だった。私は目まぐるしく移ろって行く幻燈を眺め、やり過ごした。母が、掛替えのない母がいなくなった今、私が何を為し得ただろう? 私の感じることに何の意味が在ったろう? 私は何も感じなかった。太陽は死んだのだ。この上何が必要だろう。
 それでも、私が憂鬱を感じなかったと言えば、嘘になるだろう。この時期、私はしばしば憂鬱に襲われていた。街を歩いていて町角で襲われることもあったし、夜、一人で部屋にいるときに襲われることもあった。私は度々酒場で酔い潰れた。アルコールは一時的には気を楽にしてくれたが、翌朝の寝覚めは最悪そのものだった。相変らず妻は実家に帰省していた。私はこの時期、殆ど仕事もしなかった。庭に椅子を出して通りを眺めて過ごしたり、当てもなく町を歩いて時間を潰したりした。灰皿に吸い殻が溢れたのを見て、自分がこれだけ座っていたのだと気付き、私は慌ててカフェを立ち去るのだった。しかし、慌てたところで、特に行く先があるわけではなかった。私がこの時期感じていた憂鬱は、ひどく簡略な仕組みのもの、もっと言えば身体的なものだった。それは丁度、膝の下の部位を硬い棒で叩くと脚が自然にびくんと跳ね上がる、あの反応に似ている。私の全体が外部からの刺激を受けた結果だった。私は次第にこの憂鬱に慣れて行った。それは心の外縁をさっと撫でて通り過ぎるもの、表面的な感覚だった。人は、この気分を「悲しみ」と名付けるのかも知れない。だが、やはりこう問わざるを得まい。即ち、私の感じることに果たして何の意味が在ったろう、と。私は憂鬱を感じると、じっと息を潜めてそれをやり過ごした。

  6.

 その夜、私はいつにも増して激しく燃えた。マダムは蝶のように肢体を広げて喘いだ。
 彼女が寝入った後、暗闇に起き直って煙草を吹かしていると、何処からか手が伸びて来て私の頭髪を撫でた。振り返ると彼女も目覚めていて、起き上がってこちらを覗き込んでいるのだった。私は全くそれに気付かなかった。
 寂しいのね、とマダムが言った。お母さんのことを考えてたんでしょう? そうではない、と私は言った。男はいつもこうなるものだ。わたしにも分かる、とマダムが言った。分かる筈がない、と私は言った。沈黙が流れた。マダムの柔かい手が私の胸に触れた。わたしにありのままを出していいのよ、何でも受け止めるから。私は腹の底に再び欲望を感じた。わたしのこと愛してる? 愛していない。私は言った。あなたのそういうところ好きよ、とマダムが言った。お母さんのことを考えてたんでしょう? 私は答えなかった。もう悲しまなくていい、とマダムが言った。彼女の手がゆっくりと私の下腹に下りて来た。こうしてあげる。だが、私は急に彼女の腕を強く摑んで拒んだ。自分でも何故そうしたのか分からなかった。どうしたの? 屈み込もうとしていたマダムが困惑した声を上げた。放っといてくれ。私は言った。私は彼女の腕を突き放した。暗闇に彼女の輪郭がぼんやりと浮び上り、彼女の当惑した表情が見えるようだった。沈黙が流れた。すまなかった、と私は言った。本当はしたいのだ、もう一度して欲しい。いいのよ、とマダムが言った。わたしはあなたのおもちゃ、可愛いおもちゃ。彼女が屈み込むと、私の腿に彼女の髪が垂れ掛かった。私は目を閉じて再び欲望に身を委ねた。

 葬儀から一ヶ月後に、私は母の遺品を全て処分した。故人を偲ばせる形跡は一切必要ない、というのが私の意志だった。記憶の詰った十二個のポリ袋と雑多ながらくたを荷台に積み終えて業者のトラックが発車すると、母の部屋はすっかり空になった。私は木枠だけ残ったベッドに腰掛けてぼんやりした。手の届かない位置に母が到達したという実感は益々強まった。広くなった白い壁と庭の見下ろせる小窓。残されたのはそれだけだったが、それだけで私には十分だった。

  三、

  1.

〈降り出した雨を眺めながら、お気に入りの安煙草を吹かしていた、在りし日の母。友達とのキャッチボールからずぶ濡れになって帰って来た私を、庭の入口に認めると、彼女は、舌に付着した煙草の細かい葉屑を縁先にペッペッと吐き捨てながら、『オーブンでバナナ・ケーキを焼いていたんだよ、そうしたら雨が降り出してね。お前が濡れるんじゃないかと心配していたところさ。やっぱりね。あれほど言ったのに、傘を持って出なかったろう。お上がり、濡れネズミちゃん! おっと、その前にタオルを持って来なくっちゃ。着替えも出して来るよ』〉

〈いなくなってしまった母。私はいたずらなどしていないし、言われた通りに、ちゃんといい子にしていたのに。どうしていなくなったの、何処に行ってしまったの、ねえ、ママ?――バナナ・ケーキを焼いていたんだよ。もうすぐ雨が降り出すから、今から傘を持って、公園でキャッチボールをしているあの子を迎えに行くよ。だから、わたしはしばらく家を空ける。ここに残る今のお前は、その間、一人で留守番をしてておくれ。いいね、分かったね。出来るね、わたしの坊や?〉

 不在の母。いつ終わるとも知れない留守番。〈出来るね、可愛い坊や?〉出来るさ、出来るとも。ママ、当然だよ。――鼻先を漂って過ぎた安煙草の香り、バナナ・ケーキ、あるいは、……。私は知っている。時は戻らないだろう。だから、この留守番は永遠に終わらないだろう。私が書き物を続ける「パラサイト・リゾート・ホテル」の一室。筆を休めて目を窓外に転じると、私の気付かないうちに、あの平板な太平洋の上に、いつの間にか、柔かく優しい灰色の雨が降り始めている。

  2.

「万物は流転する」という思想を、いわゆる「万物流転の法則」を、それを字義通りに解釈して、極端な視座で以って徹底的に、極限まで突き詰めて行くと、人は、ある一つの論理的矛盾に出会し、忽ちのうちに自家撞着を来す。即ち、こうも言い得るのではないか?――「この思想・『万物流転の法則』もまた流転する。だから、この『法則』は自身を否定してしまう。」……一見したところ、この矛盾は、膠着して、解決不能であるかのように我々の目に映る。
 一つの考えや主義が硬直し、教条化するとき、それ自体は、最早何も意味を持たないに等しい、思考を停止した、死んだ題目となる。絶対物の否定が絶対化されるならば、それは、自ずと自身の価値を失ってしまうだろう。世界や人間の存在に対する、無条件での全面的な同意。「万物は流転する」というテーゼに過度に捉われて、全てを認識不能であると認識してしまう、あのありがちな虚無主義。あるいは、このテーゼを安直に排斥して、全く取り合おうとしない先入見…。これらの思考的態度の誤りは、すべて、世界を二極化したり、世界に無理矢理に意味を見出そうとしたりした、その根本的な姿勢から発生している。この世界は我々が理解するために成立しているのではないし、人間の認識行為そのものは、対象の意味とは切り離されて、我々がその対象の意味の有無の如何を問題とする手前で、行われねばならない。認識行為と同じレベルで意味が問題とされ、かつ希求されがちなのは、それがないと不安を感じてしまう、群れをなす羊のような人間の本能にその原因がある。私はここではっきりと言わねばならない。肉体なき魂など存在しないし、魂は不滅ではない。僅かに、精神と肉体の所作の軌跡のみが、肉体の死後に残るばかりだ。
 話を元に戻そう。「『万物流転の法則』もまた流転する」のか? 本当に「この『法則』は自身を否定してしまう」のか?
 結論から先に言えば、この「法則」は、自身をも、究極的には否定し得るだろう。「万物は流転する」という考え方に従えば、ある思想や法則の「正しさ」も、やはりまた変転する筈である。正しさや価値という判断の基準を決定し、設定して来たのは、あるいは、現に決定し、設定しているのは、それぞれの時代の、まさに正しさや価値に関する一時的な感覚に過ぎない。「普遍的な正しさは存在しない」という考えを、我々が承認し、受け容れる以上、論理的に言って、我々は最早、「真理は存在しない」という思想を、真理とは為し得ないだろう。「万物流転の法則」、「万物は流転する」という思想、あるいはそのテーゼの「正しさ」について、我々はただ、以下のように言えるのみだ。
――「思想一般が、如何ほどかのぶれ幅で揺らぎ、そして、『万物流転の法則』が仮に否定されることがあったとしても、『万物は流転する』というテーゼの示す『事実性』には、殆ど影響がないだろう。むしろ、この揺らぎや否定自体こそ、『万物は流転する』という思想が主要に主張しているところである。自身に対する否定をも含むこの揺らぎ全般に対しての、この態度・対応こそが、『万物は流転する』という思想の本質部の重要な一部を成す。」、「『万物流転の法則』の持つ思想的な幅には、確かに限りがあるが、それは、宇宙の広がりや歴史が有限である、ということと同程度のレベルでの話である。自身の有限性を認めたこの宇宙の内部で、この『法則』は、自身に対して否定的な思想でさえも、ブラック・ホールのように併呑し得る。」、「敢えてこう言っていいなら、このテーゼの表現しているところのものは、ある種の『有限な不滅性』である。」
「万物流転の法則」、即ち、「万物は流転する」という思想は、自身が歴史的な相対物であることを認める。蓋し、この「法則」は、究極的な次元においては、自身の不滅性をも否定する。その点が、この「法則」・思想の在り方と、一般的な概念で解釈されている真理の在り方との、明確で本質的な違いである。

  3.

 私がこれまでに出会って来た信心家たちは、私が「魂の不滅」を信じていないと知ると、それぞれが皆、急に顔付きを深刻なものに変えて、まるで口裏合わせでもしたかのように異口同音に、いつも同じ質問を私に投げ掛けた。――仮に、魂が不滅ではない、無くなるものだとしたら、あなたは、自分は死んだ後、どうなるって考えてるんですね? そして、彼らは必ずこう続けるのだ。――それでは救われませんよ、それではあなたは救われません!
 彼らは、それぞれが、様々に異なった宗教や宗派に所属していたが、皆が一様に、信仰による「魂の救済」を、それが生前のものであれ、死後のものであれ、それこそ題目のようにいつも繰り返し問題としていた。私は疑問に思ったものだ。この題目さえ問題となっている限り、彼らは、他の宗教・宗派に改宗し、自身の神や仏を他の神や仏と交換して信奉することも、可能なのではないか? そのうちにまた喜々として、心から、その交換した神や仏への信心を、その重要性を、人々に熱っぽく語り出すのではないか?
「今のままでも救われますよ」と言う人さえいた。「あなたは、今のままでも十分に救われます。でも、信仰を持てば、もっと素晴しい、より高次の魂の救済があるんですよ!」
 今のままでも救われるのなら、今のまま、放って置いて欲しかった。こんな甘言めいた布教を受けるよりは、「地獄に堕ちろ!」と罵られる方が、私にとっては、よっぽどましだ。私は、救いなど全く求めていなかったし、実際のところ、確信的な唯物論者・無神論者だった。だが、母の葬儀は、本人の遺志に従って、宗教に則って行わざるを得なかった。母は信者だったし、死後の魂の救済を信じていた。
「わたしのお葬式では、讃美歌を歌うよりも、ヴィヴァルディの『四季』を流して欲しいねえ。みんなに明るい気持ちで送ってもらいたいよ」無邪気に冗談を言って笑っていた、健在だった頃の母…。
 母の葬儀で、私は「四季」を流せなかった。CDを持って行ったところ、司祭の猛反対に遭ったのだ。葬式でヴィヴァルディを流すくらいのことでさえ、頑なに許さない、母の信仰していた宗教。「四季」を聞いたら彼らの神様は不快に思われる、とでも言うのだろうか?
 大抵の信心家は、葬儀の厳粛な雰囲気を好んでいた。あるいは、葬儀そのものを。彼らにとって、葬儀こそは、最も「魂の不滅と救済」が問題とされる「現場」であり、自分の信心を更に固く出来る絶好の機会だった。母の葬儀で厳めしい面持ちを保っていたあの司祭は、このような書き物で母の死を弄くり回している私の「いたずら」を知ったら、かんかんになって怒り出すに違いない。
 同じテーブルで他人がステーキを食べ始めると、かんかんになって怒り出す、偏狭な、他者に寛容でないベジタリアンが、極稀にいる。(少なくとも、私は一人知っていた。)感覚として許せないのだろう。ステーキを食べている当のこちらも、多少不愉快な思いをする破目になる。だが、仕様がない。私はどうしてもステーキが食べたかったのだ。
 宗教においても、同じようなことが起こった。信心家たちの目には、私が、破廉恥な態度で生きている問題児と映るようなのだ。彼らにとって厳粛である筈の神や死に対する、私の冒涜…。
「あなたのような人こそ救われるべきです!」
 しかし、この台詞を、大抵の宗教は、道を歩いている大抵の人間に訴える。そして、大抵の人間は、普通に「魂の不滅」に漠然と共感していて、その上、ヴィヴァルディの「四季」が、どちらかといえば好きだ。私にとっては、このどちらも、俗悪な代物でしかない。
 生前の母の言に従えば、かつての「他者に寛容でないベジタリアン」、つまり私の母の魂は、今でも、地上を、あるいは、地上ではない何処かを、うろうろとほっつき歩いている筈である。あるいは本当に、「神様」の懐で、それこそ猫のように「神様」の優しい手に抱かれて、安らかな時を過ごせていればいいのだが…。

  4.

 町の私立の女子中学校で美術の授業を受け持っていた母は、自分で描いた沢山の絵を、家のあちこちに飾っていた。美術部の顧問も兼任していて、週末になると、部員の生徒たちがよく家に遊びに来たものだ。彼女たちが幼い私の頭を撫でる度に、私は何故か、戸惑いを覚えるのだった。
 母は十一月の生まれだったが、秋という季節をとりわけ嫌悪していた。「だって、どんどん寒くなって行くだろう? 木々が一斉に芽吹いて行く春、春なんだよ。わたしは永遠の春なんだ」
 少女のような考えの持ち主。職場では同僚たちから孤立していた。「少しおかしい人」と思われていたらしい。母には、父と私、そして生徒しかいなかった。父は私が大学生のときに、例の「君臨」に飽きたのだろう、皆より一足早く自分から「あちら」に逝った。(彼はズボンとブリーフを足上までずり下ろすと、脱いだ靴を岩礁の上に揃えて置いた。乗り捨てられたクーペの運転席から見付かった遺書にはただ一言、「クソッタレ。」と書き殴ってあった。)生徒たちは三年経つと巣立って行き、くるくると入れ替った。美術部員の数は、年を経る毎に段々減って行き、最終的に美術部は廃部になった。晩年の母の生徒たちとの関わりは、授業だけになった。彼女の授業なんて皆、ろくすっぽ聞きやしない。母は、ゴーギャンの破滅的な人生について、熱く、かつ露骨に語った。どんな女子中学生が、女を買い漁った挙句に梅毒に罹って、世界の果てで孤独に苦しんで死んで行った男の話を、歯に衣着せぬ剥き出しの言い方で聞かされて、感動するだろう? 彼女に拠れば、芸術家の価値は、その作品ではなく、主に、彼の生き方の破天荒さによって決まるのだった。但し、裸体画には、それだけでかなりの価値があった。それも、写実的な範囲内で、グロテスクであればあるほど優れている。「だって、人間の、文字通りの『真実の姿』を曝け出しているじゃないかさ」。母は、「自分にはキュビズムが全く分からない」と公言して憚らなかった。「ピカソには全然一貫性がないね。特に、後になればなるほどさ。どうしたら、人間の顔があんな風に見えたんだい? あいつの頭は狂っちまってたのかい?」。「ピカソが分からない」自分の見解について、彼女は、生徒たちに延々と一時間も「説教」した。結論としては毎年こうなる、「あのペテン師は、いつも世間のウケを狙ってただけなのさ。『ゲルニカ』なんて描いてる暇があったら、さっさと義勇軍にでも参加して、もっと有意義な人生を送ってりゃよかったのにさ!」教室では私語が飛び交い、居眠りし出す生徒も続出した。母の授業では、教師自らが実際に絵筆や彫刻刀を持つことは、極力避けられた。母は実技が苦手で、大学の卒業試験は及第ぎりぎりだった。多分、内心では、自身の貧弱な技量を恥じてもいただろう。しかし、家ではあちこちに自分の絵を飾った。彼女にとって、一美術教師(彼女に言わせれば「これでも芸術に携わる者」)であることは、沽券に関わる最大の「誇り」だった。
 今は処分してしまってないが、母の遺品の中には、二十年分を優に超える卒業アルバムがあった。毎年の教え子たちを忘れないために、彼女が保管していたものだ。制服姿の少女たちに囲まれ、居住まいを正して、セルロイド縁の眼鏡越しにカメラを正視している、しゃっちょこばった母。彼女の口元は硬く引き結ばれて笑みを浮べず、生彩を失ったような瞳が、緊張しながら極限まで見開かれている。カメラ・レンズの向うに、あの目は何を見ようとしていたのだろう? 年を経る毎に、アルバムの中の彼女の容姿は、漬けられた梅干しのように熟して行った。私はアルバムをこっそり開く度に、胸と下腹が熱くなるのを感じた。
 彼女は、自分が生徒たちから今でも敬愛されていることを、最後まで信じて疑わなかった。しかし、最後の最後まで、生徒は誰一人として見舞いには来なかった。勿論、同僚も。一度ぞろぞろと来たのは、司祭と信者たちだった。

  5.

 流転する万物――。それでは、諸個人の生や死には、本源的には、意味などないのだろうか? この問題に対して、我々は、どのように答え得よう、どの方向に向けて、我々の思考を疾駆させ、駆動して行くべきだろう?
 我々の眼前には、これまでに繰り広げられて来た、歴史上の数多の、それこそ天文学的な数の人間の生と死が、――その生の一粒一粒が微細な砂粒となって堆積した、茫漠と果てしない砂漠が、在るばかりだ。平野や海、山々や河といった自然に本源的な存在理由など何ら存在しないように、この砂漠に存在理由を求めて問い掛けることは、結局は虚しい徒労に終わろう。その上を人間が歩行する大地は、人間の歩行という行為においては、歩行する人間を支えているという程度の役割しか果たしていない。農業においては、しばしば、大地の面積と、そこから上がる収穫の量や質のみが問題とされる。しかし、人間との関わりを離れて存する大地の意味などあるだろうか? 人間の存在や生活から切り離して大地の意味を論じることは、単純に馬鹿げていよう。意味自体は、人間が創出する相対的な観点、即ち、対象と人間との関係性を考慮した上で人間の取る、対象への一つの見方に過ぎない。
――「諸個人の生や死には、本源的な意味はあるのか?」
 そもそも、この問題に対して、個人の次元を超えた一般性を持つ、本質的な答えなど在り得るのだろうか? 個々人の多様さこそが、「諸個人」という捉えにおいては、前提とされている。この多様さよりも、個々人間に共通する在り方、在り方の共通性をより重要視する場合には、我々は、「諸個人」ではなく、「人間一般」、あの砂漠のレベルの話をしている。それに意味を問い掛ける声は虚空に虚しく消えよう。我々は、人間との関わりを離れての自然に存在理由や意味など存在しないと答えたように、人間一般の存在理由も存在しない、人類の興亡や人間一般の生には何ら意味などないとしか答えようがない。もしも答えがあるならば、これだけが、唯一の、一般性を持つ本質的な答えである。「人間一般」ではない「諸個人」を問題とするとき、我々は、砂漠や砂粒一般ではなく、この掌上に載っている、この具体的な一個の砂粒について、再度一から考え直さねばならない。
 一般的な生や死について、一般的に思考する、ということが仮に在り得るとしても、誰かが、その一般的な生や死と、我々にとって特別に個人的な個人の生や死とを、単純に同一化したり、安易に同次元化しようとしたりするならば、我々は、やはり、それを感覚的に拒絶するだろう。「我々にとって彼(または彼女)はそんな風には一般化出来ない!」このような拒絶の在り方、敢えて言えば「思考拒否」の姿勢。こういった、思考の、ある種テクニカルで若干頑固な態様を、意図的に保持することが、「諸個人」の生や死について我々が考える場合には、一時的に必要となって来るだろう。我々自身とある個人との間の関係性を、人間関係一般から切り離して、絶対化し、特別視する場合においてのみ、漸く初めて、今ここで我々が目指すところの、本当の正確な議論が始まる。――彼や彼女、即ち、本来的に多様である筈のところの「諸個人」の、「個人性」が確保され、保全されるからだ。しかし、こうして始まった、彼ら「諸個人」の生や死の意味に関する議論が、仮に有意だとしても、残念ながら、この有意性は、諸個人の生や死の意味そのものまでをも、いっぺんに肯定することとは殆ど無関係だろう。あるものの意味を論じることに、仮に意味があるからといって、そのものの意味自体が即座に肯定されるわけでは決してない。「諸個人の生」は、更に個人的な個々人の生に分別される。我々は、その複数のケースを一括りにせず、一つ一つの生を、個別に吟味し、判断する必要がある。そして、実際のところ、「彼(または彼女)の人生は全く無意味だった」と我々が感じてしまうケースも、間々あるのだ。
 鼻先を漂って過ぎた安煙草の香り、バナナ・ケーキ、あるいは、家中に飾られていた沢山の絵…。ある故人の生を有意義だったと総括するか否かの判断は、それを行う者の、結局は一相対物に過ぎない全般的な価値観と、彼とその故人との関係性を見つめる彼自身の視点とに、全面的に依拠していよう。
   ×   ×   ×
 母が逝ったあの夏が終わって行くのを茫然と目の当たりにしながら、その頃の私は、恰も小児が手遊みに自分の性器を弄くり回すように、こんな理論ばかりを独り捏ねくり回して過ごしていた。そうして、私にとって決定的だった一つの季節はゆっくりと着実に過ぎ去って行ったが、その去り際に、その季節は、そう広くもない私の周囲に、もう一つの、俄には信じ難い突然の死を、序でのように、あるいは、置き土産のように、ぽとりと落して行ったのだった。

  四、

  1.

 誰とも知れぬ犯人に、ナイフ様の刃物でマダムが刺殺されたのは、九月が終わろうとしている月曜日だった。血の海となった床に倒れている彼女を、午後四時に出勤して来た店員の女の子が発見したとき、マダムは既に事切れていた。心臓を背後から一突きにされていた。店内に争った形跡はなく、また、売上金を収めていた金庫も手付かずのままだった。町の警察は、「知己の人物による何らかの私怨に基づく犯行」と見て、捜査に着手した。二人の私服刑事が私の家にも訪ねて来て、私は、マダムとの関係を、詳細に語らざるを得なかった。(「結局のところ、あんたは彼女の何だったんだね?」…。)こうして、わが「豊饒な大地」は、突如永遠に失われてしまった。私は庭先で煙草を吹かしながら、三十五年に満たなかった彼女の人生の「意味」について、堂々巡りの考えを巡らせた。余りにも急過ぎるその終わり方――強制遮断――には、全く実感が湧かなかった。一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、一向に容疑者は特定されず、具体的な犯人像さえ浮び上らなかった。マダムの店の扉には、「閉店」の貼り紙がずっと貼られたままだったが、やがて物件自体が売りに出され、「販売中」と印字された大きな派手な色の看板が、人の目を引いた。血の海を見た女の子は、ショックのために、実家の在る故郷に帰ってしまった。厨房で働いていたコックがその後どうなったか、私は知らない。この一事件は、これまで自覚していなかった自身の精神の一面を、私に気付かせた。私は虚しい「空洞」を感じていた。自分にこれほどまでの、マダムへの執着や思いがあったことを、こうして彼女を失った今更になって初めて、私は自覚したのだった。〈わたしは愚かよ〉と、彼女は口癖のように言ったものだが、実際に愚かだったのは、この私だった。人々がよく言うように、後悔はいつも後からやって来る。彼女の死が齎した悲痛さは、母のときのそれとは、形も質も全く異なるものだった。その終わり方も多分に影響しているだろう。
   ×   ×   ×
〈ねえ、わたしはとても愚かよ〉かつて、彼女は言ったものだ。〈わたしはこれから先、誰かと一緒になれると思う?〉
――あんたは二十年後も今のままかも知れないし、半年後には薬指に指環を嵌めて晴れ晴れとした表情をしているかも知れない。
〈そうね。ただ、ときどき悲しくなってしまうの。自分に絶望するのよ〉
 私は黙っていた。彼女は続けた。
〈自分は多分、誰とも深く繫がることは出来ない、誰かと結婚しても上手く行かない、ってそんな気がしょっちゅうするの。わたしの抱えているものがきっとお互いの関係を駄目にしてしまう、って脅える。それは、たまにこうしてあなたと寝るわ。でも、それだけ。体が求めているからそうしているだけ。わたしはこの先もこのまま一人でいた方がいい、って思うの。そうして何十年後かにおばあさんになって、孤独に一生を終わる。自分にはそれがお似合いだし、誰かから気持ちを求められても、わたしは却って、針で心を刺されたように辛くなるだけ。自分に絶望するわ。どうしてこうなっちゃったんだろう、ってよく考える。こんな肥った女、こんなおでぶちゃんが悩む姿なんて、可笑しいだけなのにね〉
――怖いのだろう、あんたは自分が傷付いたり他人を傷付けるのが怖いのだろう。
〈そうかも知れない〉と彼女は言った。〈あなたと寝るのは楽しいわ。何故なら、あなたはいい意味でわたしの体しか求めて来ないから。でも、ときどき寂しくなって、――いえ、今こんな話をしているのもきっとそうなんだけど、――喉が渇いたように感情の部分が渇いて堪らなくなる。寂しいという気持ちがどうしようもなくなる。あなたはとてもドライだし、あなたにその点で迷惑を掛ける積りはないの。自分で分かっている筈なのに、相手から気持ちを求められれば自分は辛くなる癖に、わたしは溢れて来る寂しさを抑えられない…〉
――あんたは自分が思っているほど悪い人間じゃない。いつか、奇特な誰かが、あんたの抱えている荷を分ち合って、その半分を背負ってくれるかも知れない。男女の間に限った話をしているんじゃない。それは教会の司祭かも知れないし、場末のバーの床にぺったりとしゃがみ込んでいる女の子かも知れない。あんたがどれほど深く絶望していようとも、またしていなくても、いずれにしても世界は回って行くし、あんたは否応なく誰かに出会う。
〈そうね。その通りね〉彼女は黙り込み、ベッドに仰向けに横たわっていた私の身体の側面に、裸のふくよかな胴体を押し付けた。彼女の手が下の方で私の手を探っていた。私は相変らず、天井を見上げたまま、彼女の為すがままに自分の身を任せていた。
   ×   ×   ×
 人間の、人間に対する視点自体が、日々移ろうものである。火遊びで始めた「いたずら」が、飛び火して、とんでもないところで大火事になった。

  2.

 続けよう。

 一面に輝く緑の丘の上を、車は走っている。ハンドルを握っているのは私だ。この春に、私は運転免許証と車を取得した。助手席には、小さな痩せた女が座っている。久し振りに会った妻だ。駅で彼女を拾い上げた。退屈そうにぼんやりと、フロント・ガラスの向う側を眺めている彼女の髪を、窓から入って来る風が、いたずらのように撫で弄ぶ。
「で、わたしたちは何処に向かってるの?」
 私は答えない。私の関心は、我々が現在向かっている目的地ではなく、専ら、我々がこれまでに乗り越えて来た道程にあるから。そして、私は運転に忙しい…。正直なところ、目的地なんてなかった。
 私のブレザー・コートのポケットには、母のお気に入りだった安煙草が入っている。私は半年くらい前から、この銘柄を好んで吸うようになった。
「あなたは、わたしと何か話す気はないの?」
「あるさ。勿論」
「え?」風が邪魔をしたのか、声が上手く届かない。
「『勿論あるさ』って言ったんだよ!」
 私は大声で怒鳴る。私はまだギヤ・チェンジに慣れていないが、車はほぼ一定のスピードで、真っ直ぐな道を走っている。初夏の太陽が、ベニヤ板のような空の中心で、鋼色に輝いている。永遠を約束するような力強い光、躍動する緑――やがて、世界を、また、あの狂ったような暑熱が覆い尽すだろう。そして、その状態が、しばらくは、少なくとも四、五ヶ月の間は続くだろう。私は遠い一点にある看板を目にした。
「あのラブ・ホテルに寄って、休憩しないか?」
「え?」
「『ラブ・ホテルで我々はセックスしないか』って持ち掛けたんだよ!」
「あなた、馬鹿なの?」私は前方から目を逸らさなかったが、妻の呆れ返った表情が見えるようだった。
「私は本気で言ってるんだ!」
 年月に荒廃した砦のようなベージュ色の外観を呈しているその施設・「さびしい雀たち」の、高いブロック塀に囲まれたガレージに、緩やかなハンドルで車の鼻先を突っ込みながら、私だって、決して明るい気持ちでいられたわけではなかった。
   ×   ×   ×
 続けよう。

 一面に青く塗られたベニヤ板の書割は、恐らく空を表しているのだろう。舞台の中央で、仮面のような不動の硬い笑みを顔に満面に浮べて一人立っている、素っ裸の女は、中年を越えているだろう。よくよく見ると、彼女は、本当に、笑みを湛えた鋼鉄製の仮面を付けている。客席は全ての明かりが落されて溶暗している。観客たちは、息を潜めて彼女を注視し、この役者のどんな一挙一動も見逃すまいと、張り詰めた気持ちで見守っている。彼らは彼女に何らかの動作を期待しているのだが、この女役者は一向に動こうとしない。鉄仮面に満面に浮んだ硬い笑みが強いライトを浴びて輝き、この役者の裸体は少しグロテスクだ。疲れたように垂れた両の乳房、ぶよぶよと肉の弛んだ腰回り、両脚は、その太さのためか、やや短めに見える。局部に申し訳程度に生えた惨めな陰毛が、人に、見てはいけなかったという印象を与える。舞台袖の別の書割の前では、そう若くもない男が、そう若くもない女と、奇妙かつ不自然な体位で媾合している。交接部を巡って、見る者の憐れみを誘う、児戯のように稚拙な、男の腰の前後運動が、延々と続けられる。もう片方の暗い袖には、別の女が、赤い体液のどろどろと広がった上に仰向けに転がっている。彼女が目を閉じているのか、それとも、目を見開いて天井の一点を凝視しているのか、ここからは、暗くてその表情さえも判然としない。観客たちの関心は、専ら、中央に立つ裸身の女役者にある。こうして十数分が経過した後、突如、中央の女役者が、自身の顎に手を掛け、あの硬直した笑みの鉄仮面を徐に外し始める。時期を同じくして、舞台袖の男は、勃起したままの貧弱なペニスを、女の身体から引き抜き、それをなおも扱いて、床に精液を激しく射出する。飛び散る白濁した雫たち…。男は、それから、胃の内容物を嘔げようとしているのか、上半身を床に向けて屈めて、両手で喉元を押え、頻りに喘ぐ。だが、彼の胃は空っぽのようで、だらりとした涎が口の際から垂れ滴るばかりだ。中央の女役者が完全に仮面を外し終えると、下から現れ出たのは、何と、外したものと全く同じ、あの鉄仮面である。満面に輝き渡る硬直した笑み、ぶよぶよとした裸体…。青いベニヤ板が、ゆっくりと音もなく後方に倒れる。暗い袖に仰向けに転がっていた女は、いつの間にか、舞台上から姿を消している。顔を歪めて長い媾合の時間を耐えていたもう一人の女も、ひっそりと退場した。何処かから低く響き始める、ドラムを叩くような仰々しい連続音。それとも、この音は最初から鳴っていて、徐々にボリュームが上がったのだろうか? 男は顔を上げて、滑稽な仕草で以って、辺りをきょろきょろと見回す。中央の女役者は、鉄仮面の冷たい笑みを保ったまま、相変らず微動だにしない。

  3.

「さびしい雀たち」と名付けられた、郊外に建つ古城のような施設の一室で、私は、一人の女に、自身の決意を、「不滅の愛」に対する自身の覚悟を、延々と掻き口説いていた。部屋の小さな窓には分厚い真紅のカーテンが降ろされていたが、戸外では、あの輝かしい緑が燃え立っている筈だった。母の一周忌が近付き、私の自分で定めた服喪期間は明けようとしていた。彼女は溜息を吐き、諦めたように服を一枚一枚脱いで行きながら、「あなたって本当に愚かね」とぽつりと呟いた。
――そのことについては、きみはもう十分に承知しているだろう?(実際に彼女が、何を何処まで承知していたのか、それは大した問題ではなかった。)
 パンティーを脱ぎ終えた彼女の唇たちに、私は挨拶するように順々に自分の唇を押し当て、それから四十分ほど、二人は黙々と、儀式のような作業に耽った。私が、心から乗り気でこの作業に打ち込んでいたのかといえば、そうではなかった。我々は、好き嫌いをしてはならない。苦手なピーマンや小魚だってちゃんと食べねばならない。それは巡り巡って、我々の身体の滋養となるのだから…。
「存在が意識を規定する」という、凡そ格言にまで高められたあの有名なテーゼ。――精神が始めに肉体を規定するのではなく、肉体の在り方が、まず始めに精神を規定するのだ。両者がその後お互いに作用し合うことはあるにしても…。実際のところ、あんな終わり方になってしまったが、私はマダムを――最初は肉体関係だけで付き合っていた一人の女を、ちゃんと愛せていたのかも知れない、彼女を愛し始めていたのかも知れない。どうして自分が母以外の女たちを、とりわけ妻を、愛せないと端から決めて掛かることが出来よう? 異端児は、「本当に愛する」ために、まずは敢えて彼女の「肉」を貪り喰らうことから始めた。
「あなた、馬鹿なの?」――そう呟いた彼女の暗く薄い唇に、私は自分の本当の唇を何度も何度も強く押し宛がった。彼女にもうそれ以上、何も言わせないために。(彼女は苦しそうに喘ぎ声を立てた。)そして、自分もまた何か言う必要をなくすために。まずは二人で信じて、溺れることが肝要な筈だった。荒野、愛の不毛、不毛な愛…。だが、肉体を離れた愛など在り得ようか? 私には、不毛を乗り越えて行こうとする、うぶな覚悟が兆していた。この三十年間独り留まり続けた場所から、歩みを開始しようとする、まだ産まれ立ての、嬰児の頭頂のように柔かな決意があった。無益に思われるこの作業こそが、そろそろと歩み出す、その最初の一歩となる筈だった。克服のための再チャレンジ――要するに、英語で言うところの「畜生!」という最低級の卑語、美しくも何でもないもの。こうして、我々夫婦は、その基礎の部分で、即ち、より下方の部分で、再度完全に結ばれたのだった。私にとっては、この行為は、自身の人生の季節の錆び付いて重い扉を、ぎいと音立てて押し開くことを意味した。

  4.

 そもそも、私は母を本当に愛していたのだろうか? 亡き母を、今でも本当に愛し続けているのだろうか? ときどきふっと胸を掠めるこの問い自体が、恐らくは私にとっての最大のタブーなのだろう。幼いあの日に、板張りの床に捩じ伏せられて下半身を剥き出しにされた母と、その上に馬乗りになった裸身で素面の父との、二人が繰り広げた凄絶なまでの媾合を垣間見てしまった、私の胸の奥深くに仕舞ってある記憶が、ズボンの中で勃起して来るペニスのように、無意識に近い精神の領域から、事ある毎に頭をぬっと擡げて来る。あの日に焼き付けられた衝撃は、これまでの私の心理に、何らかの少なからぬ影響を及ぼしてはいるだろう。
 私は本当に母を愛していたのか? 母に欲望を感じているのか?
 私は暴力的なる父ならんと欲し、母の代用品としての女たちと度々寝た。しかし、私は父ほどに凄絶な媾合を繰り広げることが全く出来なかった。どうしてもいつも気後れがするのだった。女たちは誰もが優しく、私に甘美なものしか与えなかった。それは、私の正確に求めているものではなかった。癌細胞に侵されていたとしても、生きているうちに、私はちゃんと自分のこの手で、母を無理矢理に犯すべきだったのだろうか?「母への愛、母への欲望」……この偽善、この欺瞞。密室で、曝け出した男根の前の床に例の卒業アルバムを広げてマスターベーションを繰り返すだけの、無害だった一人息子。謀叛と反乱はいつも夢と想像のうちに終わった、今は亡き女帝陛下お抱えの壮年儀仗兵。最後に必要とされる暴君的な行動力、有無を言わせぬ実行力の素質が、私には決定的に欠けていたのだ。これは私の明白な敗北だった。一相対物に過ぎないものさえをも絶対化してしまうような、まるで断絶のようにも映る極度の冒険的飛躍が、――それへの踏ん切りや決断こそが、愛するという行為においてはきっと必要とされるのだろう。
 午前三時、「パラサイト・リゾート・ホテル」の一室。太陽はなお手の届かない位置にあり、この宇宙船は蕩け出す以前に、船体が自ら空中で解体し掛け、その持てる航行能力を急速に失おうとしている。(「私は母を愛していたのだろうか?」…。)私は全燃料を振り絞って、太陽への最後の航行を決行せねばならない。地図上のあの一地点、半島の突端に在る岬へと、一人向かう決心を、私は今、漸く固める。父が自身の生に強制的に終止符を打った、即ち、わが「暴君」の終焉の地…。十年前の邪悪な夏が巡る。私は、あの岬で何を思うだろうか? 父の如き暴君になれないこの凡人たる私の精神は、自らに課して来た使命を、そこで捨て去るだろうか? 私は母と、最初で最後の訣別をするのだろうか? 肉体が精神を超越して永遠の帝位に即き、遂に精神が、肉体の足下に額衝いて永遠の隷従を誓う、あの魔のような一地点――岬。そこから、私の凡俗な、偽りに似た女たちへの愛もまた並行して始まろうか? うじうじと思い悩む私の頭上で、微動だにしない鉄仮面、冷たい笑みの輝き…。私はあの、母とは似ても似つかない現実の女たちで耐乏し、自足出来るだろうか? 母への捩じくれた思いと、そして踏み迷う自身との決着の必要が、――その決着への渇望が、私のうちで渦巻く潮のように湧き上り、すべてを決するであろう重要なときが、じりじりと、しかしはっきりとした確かさで以って刻々と、私の目前に迫っていた。

  五、

  1.

 店でその日の夜に提供する料理の下拵えを――開いてバットに積み重ねられた沢山の鰺たちに、順々に卵とパン粉の衣を付けて、別のバットに積み重ねて行く作業を――行いながら、彼女が、急に深刻な声色で以って、「別れ」を切り出したのは、私の慣れ親しんだあの暑熱が町を立ち去ろうとその重い腰を漸く上げつつあった、九月の最後の週の月曜日だった。常勤のコックが夏風邪を引いて倒れ、急遽、前日からの二日間、彼女は昼間から厨房に立っていた。鈴の鳴る外扉には、「準備中」の札が掛けられていた。私は一人カウンターのスツールに腰掛け、店の冷蔵庫から勝手に取り出して来た瓶ビールの二本目を、半ばまで空けていた。厨房で作業を続ける彼女は、私の位置からは、その横顔しか見えなかった。私はグラスのビールを一口口に含み、ゆっくりと飲み下した。構わないさ。
――構わないさ、我々は元々、そういう関係だろう? 別れるも何も、端から付き合ってもいないじゃないか。
 違うの、と彼女は言った。そういう意味ではないの。これからは、もうこのお店にも来ないで欲しいの。あなたを見ると、わたしは耐えられなくなってしまうから…。パン粉の付着した両手を衣服に付けないように窄めたまま左右に広げて宙に浮かせながら、こちらを振り返った彼女は、外面上は冷静な装いを保っていたが、その内面までもが平静なものだったのか、その日の私にも、今の私にも、判断し兼ねた。私は落ち着いた手付きでグラスをカウンターに置き、「構わないさ、そういうことなら。しかし、何でまた急に?」。
 彼女は率直に困惑した表情を浮べた。「これを聞いたら、あなたは不快に思うかも知れない。でも話すわ。わたしはこの前から、ある人を好きになってしまったの。そして、その人と真面目に付き合いたいと思うのよ」
 彼女はここで少し言葉を切り、私の顔色を窺った。私は透かさず尋ねた。
――だったら、その男と付き合えばいいだけの話だ。それだけが、我々の関係を全く解消してしまう本当の理由なのか?
 彼女は一瞬黙り込み、それから、始めは気まずそうに、やや躊躇いがちに言った。
「彼はベッド上での愛撫がとても上手なのよ。はっきり言って、あなたのは、わたしの身体を這い回る蛇、――お世辞にも上手とは言えないわ。いつも、内心我慢していたのよ。でも、やっぱりわたしは、自分の気持ちに正直でありたい。自分の気持ちに正直でいることが、わたしの信条なの。だから、あなたとの関係はこれ以上続けられない、すっぱり断ち切りたいの。それに、思うんだけれど、わたしたちは、そろそろいい加減にしてもいい頃合だわ」
 最後の部分を、至極あっさりと彼女は言い放った。何かから解放されたような、幾分すっきりとした表情を浮べた。そうして、白んだ眉間の辺りに浅く皺を寄せると、彼女は、私の何らかの返答や反応を待つ、といった雰囲気で以って再びこちらを窺った。
 これらの言葉を聞いて、初め、私の心には何の感慨も呼び起こされなかった。が、そのすぐ後から、突如として熱い怒りの感覚が沸々と胸中に込み上げて来るのを感じた。(世間では、この感覚を「未練」や「嫉妬」とでも呼ぶのだろうか? いずれにしても、私にとっては恐らく初めて経験する感覚だった。)いきなりバケツで水を浴びせられたように、脳は逆に冷め切っていた。飲んだばかりのビールが腹の中で滾った。私は、自身のこの感覚に誠実であるためにも、物事を字義通りの意味で「いい加減」にする必要を強く感じた。少なくとも、彼女――目の前のこの「雌豚」も、言葉の上ではそれをお望みらしかった。結果的には、とても「いい」按配で全ての事は運び、その落ち着くべきところに、一つの物は収まって落ち着いたのだが…。
 私はそのまま別れも告げずに無言で「雌豚」の店を退去すると(「ちょっと、何処へ行くの?!」)、その足で町の銀行に行き、当座として必要と思われる額の金を引き出した。公衆電話から野球キャップの男に電話を掛け、昼間から営業している薄暗いバーで彼と接触した。私がしたのは、ただそれだけのことだ。彼がその頃ギャンブルで一時的にかなり金に困っていたことを、私はよく知っていた。私がしたのは、非常に簡単でギャラも桁外れにいい仕事を彼に斡旋してやった、いわば慈善事業のようなことだ。バーを出るときの彼の足取りは酔っ払ってふらふらしていた。勘定は勿論全部私が持った。ある意味では、私ほど友人思いの人間も、世間にはそうはいないだろう。
「斡旋」されたその仕事を、彼が、請け負った当日、酔っ払った勢いですぐさま決行してしまったのは少々予定外だったが、それだって大した問題ではなかった。後に残ったのは、私と、私の汚れていない手と、私の胸のうちに漠然と感じられる例の「空洞」だけだった。ナイフ様の刃物?……私が自ら刃物を手にするなんてとんでもない、在り得ない話だ。私は、台所の包丁すらろくに握ったことがない、平凡な平和主義者だ。
 この三月に、町から三百キロ離れた山奥の村の道路脇で、駐車していた一台の車が燃え、車内から、野球キャップの男の黒焦げになった死体が発見された。彼は確かペーパー・ドライバーの筈だった。そのときにも、私にはちゃんとしたアリバイがあった。毎日、自動車学校で車の運転を習っていたのだ。どうして、学校を卒業してもいない私などが、一晩で三百キロの道矩を往復出来るだろう? 但し、この一件は「自殺」として簡単に処理され、世間からすぐに忘れ去られた。
 世間に流通している人の死と金の量は、我々の理性的判断の処理能力を遥かに超えていた。いくらでも金は溢れていたし、それに群がり飛び付く俗人も少なくなかった。役所の根暗な連中の「決裁」の判一つで、死亡届は、「適切」に、滞りなく処理された。何しろ、人が死に過ぎるのだ。三十秒に一人のペースでこの国では人間が死んで行く。連中はそのペースに間に合わせるために、血眼になって大慌てで判を捺しまくる。神や仏の死亡届が提出されても、彼らは受理して、よくよく目を通さずに判を捺し兼ねない勢いだった。

  2.

 午前のぎらつき始めた陽光の下に立って、私が最後にもう一度、「ホテル」の外観を振り仰いでいると、玄関から顎鬚の主人が出て来て、白塗りのポーチから続く階段をゆったりとした足取りでこちらに向かって降りて来ながら、私に声を掛けた。
「今回は随分と長いご滞在でしたね。もしまた今度いらっしゃることがあれば、次回は色々と観光をなさるといいでしょう。この辺りには、有名な景勝地も多いですから」
 私は思い切って、彼に尋ねてみた。
「私は子供の頃に、家族でよくこのホテルに泊りに来たんですよ。その頃と比べると大分変わりましたね」
「ホテル」の主人はそれを聞くと一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに微笑みを戻して穏やかな口調で言った。
「多分それはお客様の思い違いでしょう。このホテルは五年前に営業を始めたばかりなんです。それまで建っていた古い民家を取り壊して、新しくこのホテルを建てたんです。私は関東の方でサラリーマンをしていたんですが、定年前に早期退職しましてね。夫婦ともども、生まれ故郷に戻って来たんですよ。このホテルは、いわば、『老後の第二の人生』ってやつです」
「パラサイト・リゾート・ホテル」。私の記憶が間違ってでもいるのだろうか? だが、少年時代のあの「ホテル」も、確か、ここに建っていた「パラサイト・リゾート・ホテル」なのだ…。場所と名前の偶然の一致、――そんなことが起ころうとも思えなかった。
 主人は答えに窮したような私に気を使ったのだろう、頬の髯を片手で優しく撫でながら話題を無難なものに切り替えた。
「これからご自宅まで直接お帰りになるのですか?」
「そうです」岬に向かおうとしていると告げることが、私には何故か躊躇われた。
「運転にはくれぐれもお気を付け下さい」
 宜しければまたお越し下さい、と別れの挨拶と礼を述べると、庭に水を撒かなければならないので、と断って、顎鬚の主人はその場を立ち去った。私には不可解な感覚が残された。車への荷物の積み込みは既に終わっていた。海岸沿いの整備された道路を更に西へ。目指す岬までは二十キロもない筈だった。私は運転席に乗り込むと、エンジン・キーを回してギヤをローに入れた。日差しに照らされた眩しい「ホテル」の姿が、ハンドルを切るのに合わせてゆっくりと回転しながら後方に遠ざかって見えなくなった。

  3.

 私が執り行う、私自身の精神的な割礼。私は、幼年期以来被って来た自らの包皮を、自らの手で切除し、取り去らねばならない。この儀式は独力で完遂されねばならない。それによって、神のような母との真の契約が成立し、母と私との距離も遂に一定のものとなろう。私の、常人としての日々も始まろう。私は女たちを心から愛することが出来るようになるかも知れない。私は母を捨て去るのだろうか? 否、母は私の「神」となり、私の頭上に永遠に燦然と輝くのである。この輝きはこれまでのものとは全く違う、私の死まで決して滅びないと約束された、預言者を包む後光のような眩しいそれである。私は自らの性器を傷付け、その血によって、彼女への永遠の忠誠と隷属を誓うのだ。これは私の心からの意志、理性による最後の選択である。この誓いは、私のこれまでの「母への愛」の次元を超越したものとなろう。今は亡き母は、その不在によって、逆に神格を得る。神が母の位置に降りて来るのではない。私が母を神の位置に到達せしめるのだ。私が永年包まって来た、唾棄すべきこの心地よい包皮。しかし、私の精神の敏感な亀頭は、厳しく、かつ激しい現実にしっかりと向き合わねばならない。この奔流の中で、物怖じしたり、包皮の中に逃げ隠れしたりすることは、最早許されないだろう。私は強く生きねばならない。
 初めに父の死があった。次いで、この一年に相継いだ三つの死。三つについて言えば、一つの死が尊く、一つの死が下世話で、更に残りの一つについてはお話にもならなかった。死は、それぞれ個別なものだ。人間一般に関しては、その生にも死にも、さほどの意味はない。だからこそ、私は私の独断によって、父の自死を無味乾燥としたものに、母の死を絶対的で特別なものに位置付ける。他の二つの頓死については、私は、罪の意識すら全く感じていない。況して、自首することなど考えたことすらない。私は、これからも決して、自ら死を選ぶことなどしないだろうし、私のうちには、いつか訪れる自身の滅びまでの期間を、その一瞬一瞬を、確実なものとして生き抜こうとする、力強い貪欲な意志がある。私はいつまでも、あの虚無とさえ無縁でいるだろう。
 肉体こそが、あるいは、肉体の不在こそが、私の精神の上に君臨し、精神は肉体の下僕として、この禁欲的な隷従を私の滅びのときまで続けよう。自身の肉体を、あの執拗な道徳的理性の軛から解放し、思念を――その働きの余すところなきすべてを、わが称うべき欲望の主人・肉体に共に隷従させるために、私は自身の精神への割礼を執り行う。切断された傷口から私の胸のうちに誓いの血がどっと溢れ出し、このとき、母は遂に永遠となる。母だけが永遠となる。私の忌わしい理性は、思考を停止した「肉」の次元に移行する。――これは私の完全な倒錯であり、自己欺瞞ですらあるかも知れない。目に見えない精神の割礼など、誰が客観的に確かめ得よう? だが、これは私にとって、切実な心の問題なのだ。人は全存在を賭けてでも足掻き続けることだってある。私は愛したかった、人を、女たちを。そして誰よりも妻を。私は、あの優しくも醜悪な「凹み」に纏わる二重の愛を、忍従の気迫で以って生き抜いてみせるだろう。私が耐え忍ぶこの苦役に果たして意味があるのか、その問題も、やはり個人の観点を超えることはない。何より、苦役もまた悦楽に転化し得るものだ。
「精神」という名の先細って行く陸地の突端を、「肉体」という名の青い海が、白い波濤で以って洗っている。ここに陸地は尽き、頭上では、鋼鉄製の太陽が不動の輝きを放っている。――岬、わが暴君の自ら絶命した場所。
 岬の尖端の岩礁には、玩具のように小さな赤い灯台が、コンクリートで固められた基礎の上に、ぽつねんと佇っていた。この最果ての地に立ち、剃刀の柄を握る私の右手はぶるぶると震えていた。私は、右手に比べればまだ震えていない左手で、ゆっくりとその刃にキャップを付けると、刃を逆向きのまま掌にしっかりと収めてコートのポケットに仕舞った。額から脂汗が滲むのを感じた。私は再度一枚の青い板のような空を見上げ、海を見渡した。大きく息を吸い込み、努めて静かに吐いた。それから、身体の向きを百八十度変えて、砂利敷きの駐車場に停めてある車へと、眩しい日差しの中を歩き出した。この仮住いの旅を終えて、私が本当に暮らすあの家へと帰る潮時だった。光り輝く道を、私の車も生も、一心に走り抜けて行くだろう。少なくとも、今の私には、最早滞っている暇などない筈だった。駐車場へと続く緩やかな階段を登って行きながら、革靴が砂利を踏む度に僅かに石粒の軋る音が立ち、この初夏の光景のすべてを覆うようにして、岩礁に砕け散る波の音が、下方から通奏低音のようにいつまでも淡く鳴り響いていた。
〈了〉

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