ラスト・キッド

   一、

 私はもう先刻から、白い壁を見つめている。私が直に座る板張りの床、傍らに置いたウイスキーのボトルとコップ――コップに少量のウイスキーを注いでは、私はちびりちびりと舐めていた。天井の蛍光灯。白い光、白い壁。壁には、人の頭の辺りの高さに、幾枚かの画用紙が粗雑に貼られている。画用紙には、それぞれ書き殴ったようなマジックペンの線――色取り取りの線が描かれている。それは、もうすぐ三歳になる私の息子が、保育所で描いたものだ。彼は今、寝室で眠っている。心と身体がばらばらのものに、別々のものに感じられるあの感覚――生きていると誰もが一度は経験するあの感覚――まるで自分が舞台上の役者にでもなったかのような、ひどく現実から遊離したあの感覚を、私は味わっている。掛時計が秒を刻む音だけが、しんと静まり返った部屋に響き、私の脳や神経はアルコールで弛緩している。自分の腕や肢が、この目の前にある手が、自分からは余程遠いものに感じられる。私は画用紙を見上げ、再び視線を下ろして壁を見つめる。白い壁に、そのうちに何かの紋様が浮び上がる、それを待っているとでもいうように。虚ろな光、虚ろな部屋…。否、私は確かに待っているのだ。見つめるというこの行為、私のこの意志によって、白い壁の上に過ぎ去ったあれらの形影を再び見出すことが出来るのではないか、と。それら形影がこの壁の上に、潮が引いて干潟のように浮び上がるのではないか、と。
 私の友人キエンが死んだのは、日本では梅雨の頃だった。留学先のハンガリーで、彼は自ら命を絶った。その報せを受けて二、三日経った雨の降る夕刻、私は郵便受けに一枚の葉書を見付けた。無記名のエアメールで、ハンガリーの都市で投函されたものだった。走り書きの別れ。その頃、私は離婚したばかりで、息子を両親の許に預けていた。彼はやっと一人で歩けるようになったばかりだった。また、ある日、あるとき、不意に稲妻のようなものに貫かれて、私は町角で立ち竦んだ。通りに斜めに差す西日の加減。それを浴びた煉瓦。脇を過ぎて行った赤い大型トラック。豆腐屋の軒先では、豆腐の水槽の隣に老人が座っていた。私は、それら全ての光景を産まれる前から知っていた、と感じた。そして、この奇妙な一致の感覚を、この瞬間を、自分は生涯忘れないだろうと確信した。それでいて、この瞬間が精確にいつであったか、私はすぐに忘れ去った。辞書を閉じて、閉じた直後に、自分が何を調べていたのか、既に忘れていることは間々ある。それでも、記憶のある部分は搏動のようにいつまでも脈打ち、明滅を続ける。砂のように掌から零れて行く時間、数多の忘却を越えてこの胸に疼く記憶。極北の空で不敵に笑い続ける北極星――私は暗い北に向けて歩く。
 私は暗い北に向けて歩く。
 吃りながら、滞りながら始めた、私の語り。果して、この私が、確実なことなど一つでも語り得るだろうか? 白い壁。白い壁。白い壁。――私はコップにウイスキーを注ぎ足し、舐める。飛び去って行った鳥の群れの残像。凍える冬の風。川岸で風を受けたあの日の頬。一人ではなく、人といた冬。体温の忘れ難い温もり。現在の私はウイスキーを口の中で転がし、これらの形象に胸が自ずと震えて来るのを感じる。全ては、遠い日の出来事だ。また、父親になって息子をベビーバスに初めて浸けた瞬間。何かが完全に上手く行かなくなり、遂に妻が家を飛び出した初夏の夕暮れ。これらは比較的新しい時代のものだ。我々夫婦の関係が駄目になった原因は何だったのか、いつから駄目になっていたのか、本当に救いようはなかったのか? 今の私の思考もやはり複雑に停止し、我々は駄目になるしかなかった、としか結論は出せない。ただ、妻が息子を置いて出て行ったことは、私にとって確実に大きなショックだった。当時一歳の息子には、何が起きているかさえ分かる筈もなかった。――鉄の爪で空を引っ掻く行為。B罫の白いノート。また、別の朝、私は大泣きしながら目覚めた。目覚めた瞬間に泣き止んだのだろうか、涙は夢の中でしか零さなかった。かつて、キエンは、我々の文章は色が似ているのだ、と言った。今では信用の失墜した、債務不履行(デフォルト)寸前の単語集を並べて、私は路傍でそれを叩き売る。あるいは、嫌がる他人の耳を摑んで、私の言葉を聞くことを強要する。言葉自体が犯罪となる、あるいは、なればいいと望む。白。吃り。そして再び、汚濁した白。
 ともあれ、こうして物語は始まる。壁の上に形影を見出そうとするこの意志を水先案内に仕立てて――。

   二、

 まるで世界の中心に立っている。世界は溶解して、スプーンで掻き混ぜられたカップの中のコーヒーのように、ぐるぐると私の周りを激しく周回している。私は指揮棒を振うがごとく、巡り巡る世界に檄を飛ばす。じゃじゃ馬に鞭を入れる。――そんな歳月。そんな歳月を確実に生きた、という手応え、確かな実感が、私にはある。それでは、現在の私が抱えているこの虚しさは何だろうか? それは何に由来するのか?
 息子を寝かし付けた後の深夜に執筆を続けた作品。畏友・ナオは(彼は昨秋、妻子を伴って私の暮らすこの地方都市を訪問したのだ。)、駅前の地下街に入っているカフェのテラス、天窓から差す明るい光の下で、その原稿を手に取り、別に批評するわけでもなく、「それじゃ、これが君の『リアル』なんだね?」と私に確認した。確かに、それだけが私の拙い現実(リアリティー)だった。だが、私にとっては、貧相であっても、張子で出来た世界なんかよりは、ずっとましな代物だった。(あくまでも、私にとってはの話だ。)彼の妻は四六時中マフに手を突っ込んでいた。また、別の友人の一人で、これは畏れ多くも何でもない、テツという奴――こいつは、いつも飯粒を大量に茶碗から食べ零すので、何処の家に行っても家人を迷惑させること頻りだった。ガスバーナーで自分の(他人のだっていい)尻に火を点ける友人だって、私にはいたかも知れない。私のリアリティーは、いつもぎざぎざに混乱していて、最後には、必ず手遅れになっていた。それでも、掬うべき何かは、確かにいつもあった、と言いたいし、現に今、こうして言える。これだけのことが言えて、これだけのことが言えない、という境界は、至極曖昧模糊としている。だから、これは偏に、私の意志と努力に掛かっているだろう。この文章が、ナオとテツに宛てては、差し当たっての私の所信表明となる。そして、あのマフに手を突っ込んでばかりいた細君、そして彼女が抱えていた赤ん坊にも。少なくとも、私はまだ、自分の尻に火を点ける域にまでは、残念ながら達し切れてはいない。
 近所のスーパー・マーケットで擦れ違った、若い女の甘い香水の匂いに、私は急激に何かを思い出そうとしていた。それが、恐らくは、人々が〝懐かしさ〟と呼ぶ領域に所属する感覚なのだと気付いて、私は密かに驚愕した。かつての私の苦悩の種は、無害な郷愁を誘うだけの代物に変貌し、昇華さえしていた。私はそのことを、今はもう会えないその彼女と――そう、かつての恋人と――祝福し合いたかった。私が一人の人間の親になり、そして、今なお、こうして書き続けている、ということ。十五年近い時日を要して、なおも私が立ち竦んでいる戦場。彼女だって二人の子の親となり、そう遠くはない町で暮らしている、と人伝に聞いた。そんなことを例にした、ゆっくりと、しかし、ある日突然に判然として来る自身の感情の真実たち――それらは、何故か、いつもささやかな、優しい相貌をしている。棘は全て抜かれて。――私だけが気性の激しいわけではないし、私は大抵気性は激しくはない。ただ、歳月が必要なだけだ。見たことのある人と擦れ違う。私はちゃんと彼に気付けるだろうか? すると、いつも目では分からない合図が送られて来て、多分翡翠色をしている私の脊椎を、それが、上からコンコンと軽く叩く。そう。ただ、歳月が必要なだけ。後は、バランスと少しばかりの天運。私は、そうして彼に気付く。翡翠色の脊椎。
 現実主義よりはロマンチシズムを、無難よりは革命を、往時の私は望んだものだが、それが、衣食を始めとした生活の労苦までをも買い込む行為だとは、当時、微塵も認識していなかった。その認識を得た今でさえも、若い日の自分に私は一片の未練もない。未練もない、とはっきり言える。ぐるぐると鬩ぎ合う世界を相手に、一歩も引かなかった自分。どんなに荒々しい雄牛だって、タクト一本で捩じ伏せてみせただろう気概。縦え、この生が敗残に終わるとしても、もう既にこちらの取り分は、精神的に十分取っているのだ。自分としては、決して見映えがしないわけではないゲームになっている。現在の私がそれでもまだ磨いているのは、ピンポイントで針穴に糸を通すような離れ業――急所への一発狙撃だ。それによって、世界との本当に最後の決着が付くだろう。そうでなくとも、あんな化物、巨大な存在を向うに回して戦った経験を持つ人間が、この地球上に二千といるだろうか? そう遠くない日に、私は再び、あのリング――目まぐるしく回転するコーヒーの渦の中に、恐らくは身を置くことになる。そのときにも、胼胝の出来た右手に、やはりいつものペンをしっかりと握っているだろう。
 私の抱えているこの虚しさは、それでは、世界への執着や肯定の激しさの、取りも直さず裏返しなのだろうか? それとも、私の些細な思い過し、ただの誤解とでもいったものに過ぎないのか?

   三、

 柳並木の歩道を私と歩きながら、息子は繫いでいた手を急に放して、前方の地面に何かを見付けたのだろう、トコトコと駆けて行った。そうして彼が発見したのは、何でもない、その辺に転がっているのと何ら変哲ない、灰色の小石だった。彼はしゃがみ込むと、その小石を大切そうに手に取り、こちらを向いて、人差指と親指でそれを抓んで高く翳してみせながら、「パパ、見て、石、石!」と小さく叫ぶのだった。そして、嬉しそうにオーバーのポケットに仕舞った。今日の夕刻、保育所からの帰路のことだ。虫や紙屑を見付けたときにも、息子は同じような反応をする。また、別なとき、私は不意に不安に襲われて、用もなく息子の名前を呼ぶことがある。あるいは、そんなとき、わざと大声で童謡を出鱈目に歌ったりする。返って来る息子の返事や反応に、私もまた安心を得たいのだろう。保育所からは、いつも疎水沿いの道を帰って来る。
 私が息子に対して、そして、恐らくは、息子も私に対して感じている、このかけがえのなさ。世界に二人切りで、我々はお互いに何物にも代え難いという感覚。私がベッドに座って読み聞かせる『牛若丸』を、私の膝の上で聞きながら、彼がいつも絵本の世界と現実とをごっちゃにしてしまって、不安がちに私に投げ掛ける質問――「お父さんは、殺されちゃったの?」彼は、牛若丸の父のように私が殺されると心配しているのだ。彼にとって、父親である私のいない世界は、果して何を意味するだろう? 毎晩のおやすみの挨拶。私は、小さなオレンジ色の電灯を消す前に、彼の頭を優しく撫で、その両頬に頬擦りしてやる。今日も一日いい日だったね。――「信愛」とでも呼び得るようなこれらの心身の交わりは、正直なところ、この家から妻がいなくなったあの日から、突如として不器用に始まり、それがゆっくりと醸成されて、現在の穏やかな境地にまで至ったものだ。それまでの私は、別に取り分けて子供好きな父親ではなかったし、世間一般の母親が感じているらしい子供との一体の感覚を、世間一般の父親と同様、私もまた感じることはなかった。当時息子を可愛いと思わなかった、というわけでは決してない。彼が成長したことも、多分に影響しているだろう。ただ、今の私と息子が手に入れたこの繫がりの感覚を、私は素直にしみじみと喜びたいのだ。それは、母親と胎児とを結ぶ臍帯と同じか、あるいは、それ以上に深い部分のものだ、と私は信じたい。これは、一人で育児をする父としての、私の祈念のようなものだ。
 それでも、息子は、ときどき、寂しそうな素振りを見せる。保育所で、あるいは、出掛けた先で、両親の揃っている親子連れを見掛けて、私をじっと振り仰ぐ。月に一回の定められた母との面会の日、彼は、見ているこちらがはらはらするような、今にも毀れそうな陽気さではしゃぐ。彼女に何度も何度も飛び付き、その脚に抱き付く。別れ際には決まって、「ママも一緒に帰ろうよう!」と無理を言って彼女を困らせる。今の彼には、もう全てが分かっているのだ。だが、分かっているからといって、どうなるものでもない。帰宅して、一人で玩具を弄っている小さな彼の姿を眺めながら、私は胸が潰れそうになる。彼がその背丈にそぐわないものを堪えているのが、私にも手に取るように分かる。責任や罪(もし、それをそう呼ぶとして)があるとすれば、その半分は、やはり私にもあるに違いない。そして、それは私に償い得る代物でもない。――これは償える性質のものではないだろう。
 小さな丸い眼鏡を掛けて、熊みたいにのそのそと歩いて行く私と、その周りをくるくると行き交う幼い妖精。しかし、これは、決して不幸なばかりの図柄でもないだろう? キエン、これがお前だったら、と私は、ややもするとしばしば思うのだ。お前に子供がいたなら、と。現在の私の泥塗れのこの生を見知ったら、彼はいつもの調子で、鼻をふふんと鳴らして、苦笑するだけかも知れないが…。

   四、

 飼っていた仔猫の一匹が死んだとき、その場に茫然と立ち竦んでいた私を、一つの啓示のようなものが捉えていた。それは、朝のまだ早い時刻のことで、彼女は――つまり、後の妻は――その仔猫の、まだ生きてでもいるような、単に眠っているだけのような亡骸を膝に抱えて、取り乱した姿で大泣きしていた。東向きの窓から差し込む朝焼けの反照が、室内の壁を薔薇色に染め、もう一匹の仔猫は、どうしていいのか分からないのだろう、彼女の周囲をぐるぐると行き交いながら、にゃあにゃあ鳴いていた。私に訪れたその確信――私は、仔猫の亡骸を抱いて泣いているこの女を、生涯愛そう、愛せるだろう、とその瞬間、忽然と思ったのだった。私のこの選択を、結果的に誤っていた、と人が指摘するとしても、私は今なお、あの薔薇色に包まれた早朝の光景を、そのとき自分が感じていた何某かの直感を、すぐにははっきりと否定出来ない。私は、やはり間違っていたには違いないのだが…。余りにも不確実で、先の見通せない現実。――私は目に見えない蜘蛛の巣のようなものにいつの間にか搦め捕られて、悪足掻きのように踠く。自分は悪い夢でも見ているのだろうか?
 ある者の目には事跡や残骸としか映らないものが、別のある人々にとっては、何かの予兆のように映る。そして、出来事が全て目に見えるとは限らない。渦中にいて、客観的に、冷静に覚めていることはまずなく、出来事が既に起き、粗方終わってから、私は漸くそれが取り返しが付かないと気付く。手を拱きながら茫然として焼け跡を眺め、あるいは、舌の奥に残された苦さを、ただ噛み締める。一匹の仔猫の死が引き連れて来た致命的な運命――だが、仔猫が死ななくても、私の人生の結果は、似たようなものになっていたかも知れない。どの道を辿って行っても、同じような結末が待っていて、そして、実は、それは結末ではなく、私は未だに何物かの途上にあるのかも知れない。一つの事が終わったが、それは、更に大きな、別の一つの事柄の過程に過ぎない。実際は、黙々と鉄のごときものを鍛錬し続けるだけの、ひどく淡々とした毎日の連続…。私が仔猫の亡骸を抱えた彼女の姿のうちに見て取った、そして、瞬時に全てを望見出来たとすら感じた、あの感覚は、――それこそは、まさに、私に乏しく備わっていた、私自身の、イメージを喚起する力の為せる業だったに違いない。現実とは、そして生活とは、本当は非常に味気ない、実に単調なものだ。
〈お前の生にも、みすぼらしいなりに価値があり、だから、お前は、生き続けなければならない!〉自分に向かって激しく叫んでいたのは、私だった。全てをよしとするのでも、また、否定するのでもなく、中途半端なありのままを見つめること。虚しさにも幾つかのバリエーションがあって、私は、ときどき、自身を張りぼてのように感じる。この生を全否定出来るならば、逆にどんなにか楽だろう。自身を不断に昂揚し続けながら、それでいて、自身が自分以外の何物にも遂にはなれないと、私は知覚している。そして、あの仔猫の死や種々のごたごたの延長線上に、息子との現在の私の生活がある。震える手が、雨の降り頻る夕闇の中、じっと把み堪えた一枚の葉書。再び雨、そしてまた、無記名の雨…。
 運命などと呼べるものは、きっと、本当はないのだろう。私は、そして、我々は、何か、大きなものの辺縁を、ただ、ぐるぐると虚しく掠め経巡っているばかりだ。

   五、

 天井の明かりの消えた暗い部屋で、今、キエンは、卓上のスタンドの明かりだけを点けて、一人、机に向かっている。彼の手元には、ノートの一冊も、本もなく、彼は、うっすらと埃の堆積した黒い机の表面を黙々と見つめている。片肘を付き、その手をスタンドの光に翳しているが、その指先は、若干震えている。彼は、自分にまだ残されているものと、自分が既に失った多くのものとを、心の中の天秤に掛け、胸が苦しく締め付けられるのを感じる。深夜だ。彼には今、全てのことが見え、同時に、自分がそれらに対して、何も、手出しすら出来ないことを、知覚している。人間が人間自身を苦しめる?――これは、天罰のようなもの、必然の結果なのか? 今の彼の思考には、そうとしか考えられない。
 モルが、――まだキエンが日本にいた頃、モルが、極稀に、ぽつりと口にしていた科白。「自分は、毎日、〝無〟を見つめながら生きている。否、〝無〟を見つめる自分自身が、〝無〟そのものなのかも知れない。世間一般では、これを、絶望とでも呼んで括るんだろう。それでも、それを抱えながら、それと共に俺は生きている。俺が今、敢えて死を選ばないのには、何の理由もない。俺が生きているのにも、大した理由はなく、そもそも、何かを選び取るという概念すら、今の俺には存在しない。ただ、『まだ生が持続している』という事実だけが、俺を生かしめているに過ぎない。要は、俺の生には、そして、死にも、さほどの意義はない、ということだ」(それを聞くと、テツは、「蝿や蚊は、そんなこと、考えないだろう? 動物は、そんなこと、感じないだろう? だから、モルも、そんなこと、考える必要ないよ」よく意味の分からない〝慰め〟を言ったものだ。キエンは、二人の遣り取りを苦笑しながら眺めていた。)モルは、一滴のアルコールも入っていない席で、しかも、隣に妻のサエコが座っているときでさえ、このような科白を、至極淡々とした口調で吐くのだった。彼のその口調には、巫山戯た調子は微塵も混じっていなかった。
〈蝿や蚊は、そんなこと、考えないだろう?〉――キエンはやはり苦笑する。俺の生に、果して、蝿や蚊の生ほどの価値があるだろうか? また、別の声がする。〈失った多くのもの?〉この態度自体が、贋物(フェイク)だ。自分は何も手に入れなかったのだから、それらを失い様がない…。現実には、何も失ってはいない。時間と感情――生の持続する限りにおいて、これらに際限などない。〈では、お前のこの虚しさは、何物なのか?〉更に別の声が詰問する。キエンは大きく息を吐き、スツールから立ち上がり掛けるが、その動作を再び止める。こんなことでは、息が詰るばかりだ。
 ブダペストの空港に降り立った朝、彼がトイレに立ち寄ると、水道のところに二人の男が立っていて、用を足したキエンが手洗いを済ませると片方の男が彼の肩をトントンと後ろから軽く叩き、にやにや笑いながら片言の英語で「マネー、マネー」と言って、彼の方に手を差し出した。トイレには三人の他に人はいなかった。キエンが、よく分からないまま、円と交換したばかりの幾らかのフォリント札を財布から取り出してその男に渡すと、この二人の男たちは、そそくさとその場を立ち去った。彼は、自分の心がひどくダメージを受けたのを感じた。また、別の日、彼は、自分が今までの自分ではなくなっていることに、ふと気付いた。彼は、大学の食堂で夕食を摂っていた。周りのテーブルは全て現地の学生で満たされ、彼が一人座る座席からは、大きく外に面した窓が正面に見えていた。戸外では、並木の葉が揺れ、灰色の薄闇がじりじりと濃くなっていた。彼はコップの水を飲み干して席を立った。ガヤガヤという低い会話の音が、食堂の全体を覆っていた。彼が食器を下げながら感じていた感覚――これは簡単に言っていいのなら、〝孤独〟だった。あるいは、日本で過した友人たちとの日々に対する〝懐かしさ〟だった。彼は、自分がそのとき、これまでに感じたことのない焦慮を感じているのを知覚した。
 今、彼は不意に机の抽斗からノートを取り出し、それをスタンドの明かりの下に置いて、そのページをぱらぱらと捲って眺めてみる。ぎっしりと書き込まれた文字の列――しかし、こんなものが自分の何の役に立っただろう? 結局は紙屑同然の代物だ。だが、……キエンは、モルやネオ、日本に残して来た多くの友人たちの顔を思い浮べる。ネオ――「我々の文章は色が似ているのだ」キエンが彼に投げ掛けた科白。キエンは、自分の胸が心持ち温まるのを感じる。〈俺はまだ死ねる筈がない。〉彼は再び大きく息を吐くと、ノートを机上に置いたまま立ち上がった。当然、もうベッドで就寝してもいい時刻だった。

   六、

 私が見つめている、この白い壁。ドラッグ中毒の患者のように、私は今、この壁の上に様々な、色取り取りの紋様を見出すことが出来る。私の息子、別れた妻、キエン、ナオ、テツ、等々…。息子が昨日三歳の誕生日を迎え、私の両親の家で、我々は小さなパーティーを催した。私は、今は息子を寝かし付けた後で、アルコールは入っていない。
 人間の記憶とは、何だろうか? 私は何故、自分の記憶に拘泥するのか? 私は知っている。自分には、記憶以外に頼りとするものが何もないということを。記憶だけが、このあやふやになる記憶だけが、今の私の、唯一の支えなのだ。勿論、育児があり、日々の労働がある。それでも、私をときどき襲って来る、まるで、脱け殻にでもなったような感覚――私はぐっと耐える。堪えている、自分が自暴自棄になろうとするのを…。私は思い出す、ある瞬間を、そのとき自分が感じていた、ひどく充実した感覚を。それらが、私の中で脈打ち、現在の私を生かしめる。例えば、死んだ仔猫、彼女。あるいは、あの冬…。生きて行く上で、人は何らかの支えを必要とするものだし、驚いていいことに、喪失の記憶でさえも、また支えとなり得るのだ。ふと擦れ違っただけの、若い女の甘い香水の匂い。さやさやと煌くような緑が風に揺れていた五月…。もしも、人間に必要なものを〝糧〟と呼ぶのならば、私はかなり少食な方だ。至って質素な食事――殆ど断食している上人のようなものだ。それでも、私の記憶は、間々さざめく。
 私の記憶はさざめく。
 私はその夏、精神科病院の保護室に隔離され、世間から一切断絶していた。針金の網が縦横に埋め込まれた、錠も上から固く封ぜられて、ほぼ嵌め殺しに等しい、ガラスの分厚い窓からは、それでも、豊かな緑がさやさやと風に揺れているのが見えた。そんな季節――。ズボンのベルトのようなものは勿論、衣服も殆ど取り上げられ、私は、パジャマ姿で、その部屋で終日を過すのだった。読書も、ノートに文章を書くことも、医師からは、一切が固く禁じられていた。他の入院患者たちが「独房」と呼ぶこの部屋――そこから出られるのは、毎食後の、看護師に付き添われての一本の煙草を吸う五分間だけだった。苦しい季節だったが、私はここで、生まれて初めて、自分を丹念に直視することを、あるいは、壁を黙々と見つめることを、学んだ。私の心は、外界での日常生活に疲れ切り、何らかの絶対的な安息を、喫緊に必要としていた。保護室の壁には、かつてこの部屋に隔離されて無為な時間を送った患者たちが、手の爪か何かで何度も何度も引っ掻いたのだろう、沢山の傷痕が残っていた。簡易なベッドと粗末なトイレしか備え付けられていないこの部屋で、私は延々と壁を見つめ続けた。妻がもうすぐ臨月を迎える時期のことだ。腹の膨らんだ彼女と私の両親――三日置きに見舞いに来てくれる彼らとの会話だけが、私の外界と接触出来る唯一の機会だった。私には、その三日間がいつもとても永く、待ち遠しかった。漸く退院出来たとき、私は、自分が生まれ変わったように感じた。世界には、輝かしい光が溢れていた。
 また、別なとき、――我々は、やはり光の溢れる川縁にいた。モルは、鍵師の仕事を二週間で馘になったばかりで、テツも、新しい就職の口が上手く運んでいなかった。私はと言えば、二人と同じように、やはり無職だった。モルとテツは、葦の生い茂った川岸に降りて分け入って行き、近くの橋脚に取り付いて、頻りとその周辺を巡っていた。私は、川縁の遊歩道に一人残ったまま、近所のディスカウント・ストアで買い込んで来た缶ビールを空けていた。
「ネオも、こっちに来てみろよ!」テツが大きな明るい声で呼び掛けた。
「行かないさ!」私は笑って答えた。「気を付けろよ!」
 二人は再び橋脚に取り付き、コンクリートの基礎の上によろよろと攀じ登った。モルが学究的な仕草で、橋脚に蔓延った蔓草の葉を丹念に調べていた。私は、自分が大分酔いが回って来ていることを確認しながら、目を瞑って光を浴びていた。我々が共に過した夏が終わろうとしていた。
 季節は巡るものだ。我々は、四季を感じながら、日々、年老いて行く。ひどい喧嘩をして永遠に別れた奴もいれば、キエンのように自ら脱落して行った者もいる。それでも、時は滞ることなく、歩みを進める。我々の脳は、ときに興奮し、ときに冷め、あるいは、ときに絶望に打ち拉がれる。それでも、巡る季節の中で、我々は、恩寵とも天恵とも呼べないようなものであれ、記憶と経験を授かる。私は、それらによって、自身を生かしめることが出来る。程度の差こそあれ、人は皆、きっとそのように出来ている。恵みを与え、あるいは奪い尽す、時間。生きている限り無際限の感情と感覚。私を形成しているのは、まさに自身の骨肉となったそれらに違いないのだ。
 私の記憶はさざめき、そうして私に、いつもささやかな〝糧〟を提供してくれる。少なくとも、私にとっては、人生の奥儀とは秘事でも何でもなくて、それは、日々の生のうちの細やかな細部に宿っていると言っていい。

   *

「ネオも来てみろよ!」モルとテツが呼んでいる。〈キエンは何処だ?〉
「ネオも、こっちに来てみろよ!」
「行かないさ!」私は笑いながら答える。
 目覚めるとこれは夢で、それも決して悪い夢じゃない。〈キエンは…? キエンは、何処にいるんだ?〉
 キエンは卓上の光の下、机に向かってノートを見つめている、その後ろ姿が見える。
「キエン…」思わず、私の口に出る声。
 彼はこちらを振り返り、はにかみながら微笑んでみせる。
「ネオ! 俺は、丁度今、お前のことを考えていたところさ」
「俺も、ずっとお前のことを考えていたんだ」私は言う。「今頃ヨーロッパでどうしてるか、ってね…」
 私は絶句しそうになるのを、漸く堪えているのだ。
 キエンが言う。――余りにも光が眩しいから、このライトを少し落してくれないか?
 私は自分の手元を見る。私の手には、蛍光灯のリモコンが握られている。私は、天井の明かりの明度を一段低く下げようと試みるが、逆に、蛍光灯はその白い眩しさを増す。
「何をやっているんだ、俺に貸してくれ」
 キエンが私の手からリモコンを奪い、彼は明かりを見上げて、真剣な、学究的な表情を作る。――夢はここで急激に目覚める。短かった邂逅。〈ネオも来てみろよ、こっちに来てみろよ!〉夢の中から、まだキエンが呼んでいるような錯覚。否、本当に私を呼んでいるのかも知れない…。

   七、

 目覚めるとキエンは、自分のパジャマが汗でぐっしょりと濡れていることを、まず感じた。喉がひどく渇いていたが、これはいつものことだった。全身を覆っている気怠さ――これも、いつもの寝覚めと同じだ。悪い夢を見ていた。夢の中でキエンは、卒業した筈の日本の大学の教室にいて、一からハンガリー語を習っていた。それが一向に頭に入って来ず、全ての単語を忘れた彼は、悪戦苦闘していた。目覚めてからも、しばらくはその厭な感覚から抜け出せなかった。彼は冷蔵庫に行って冷たいスポーツ・ドリンクを飲み、パジャマを上下とも脱いで洗濯機に放り込んだ。暗闇でボトルを持ったまま、裸の姿でしばらく放心していた。都市の裏道を抜けて行く自動車の、タイヤがギュギュッと舗装を噛んで走る音が、開け放った窓から昇って来ていた。彼は今、煙草を吸いたいと無性に思ったが、日本を出て以来、一切禁煙しているのだった。この一年間は、アルコールも一人では飲まなかった。先刻から気付いていたが、携帯電話の着信のイルミネーションが、ちかちかと光っている。新しいスウェット・シャツを出して、それを頭からすっぽりと被って着てから、電話を開いてみると、メールが二件届いていた。一件はただのスパム、残りの一件は、大学の中国人の友人からのものだった。このところキエンがゼミに姿を見せていないことを心配する内容が、非常に簡潔な英語で書かれていた。キエンには、返事の仕様が碌にないように感じられた。それでも、体調を崩していたこと、来週はゼミにも顔を出したい旨を取り急ぎ返信した。
 夢を見たのは、本当に久し振りだった。普段から軽い睡眠薬を飲んで寝付いているキエンは、眠りが深いのか、殆ど夢を見なかった。悪い内容の夢ではあったが、その厭な感覚から徐々に抜け出せると、夢を見たこと自体は、ある種爽快で新鮮な体験だった。日本にいた頃は、よく夢を見たものだ。取り分け多く見たのは、完璧な文章を書き上げる夢だった。夢の中では完成し、諳じることさえも出来た筈のその文章が、目覚めた後には一向に思い出せず、いつも悔しい思いをするのだった。連中は、――キエンの仲間の連中は、誰でもが、そんな夢をよく見ると言っていた。欧州にいて、今、そんなことを思い出していると、また彼の胸を温かい懐かしさが包み込んだ。それは、もうざっと、七、八年は昔の話だった。
「ネオも来てみろよ、本当に凄い奴がいるんだ!」――あの日、ネオをナオに引き合せたのはキエンだった。東京から乗り込んで来たナオ。また、別の日、天性のニヒリスト・モルとサエコの結婚。更に別の日、モルに憧れて、彼を追って単身スクーターで五百キロの道矩を走破してやって来たテツ(これはお話にもならない)。ネオは言った、「何かが上手く噛み合おうとして、噛み合わない。それが、ひどく歯痒いんだ…」。思い出そうとすれば、様々なことが、今でも幾らでも浮んで来る。啀み合いや反目すらも、日常茶飯だった日々…。――〈奴らは、どうしていることだろう?〉
「俺はまだ死ねる筈がない」キエンは無意識に呟いていた。その言葉の虚ろな響きに、自身がひどく驚き、誰も見聞きしていなかったとはいえ、自分が動揺するのを感じた。これは、最早、このところの彼の危い口癖になっていた。

   八、

 モルとサエコは、その朝、とても奇妙なものを目にした。もう七年は昔のことだ。寝床から起き出して来ると、土間に、青いビニールシートに全身を包まった人間が横になっていたのだった。冬の朝のことで、彼ら夫婦には、元々鍵を掛ける習慣がなかった。こんな奇行を行うのは、酒にでも酔ったテツだろうか? モルが足でその塊を突いてみると、そのビニールシートは仰向けになった。その顔は、無精髭をボサボサに生やしたキエンのものだった。眠り込んでいる彼を取り敢えずは目覚めさせたものの、キエンの身体は冷え切っていて、風邪でも引いたのだろう、青い顔をしてぶるぶる震えていた。彼には、前夜の記憶が全くなかった。酒を飲んでいたわけではなかった、そのことだけが辛うじて確かだった。モルがトーストを出してやったが喉を通らず、熱いインスタント・コーヒーだけを少し口にした。体温計で計測してみると、成程、三十九度近くあった。サエコが、冷凍してあった白飯でわざわざ粥を拵えてやり、彼はそれを啜りながら食った。彼の話によると、この二週間ほど、キエンは殆ど飲まず食わずの生活を送っていた。一人で家に帰せる状態ではとてもなかった。生憎木曜日で、近隣の内科医院は何処も閉まっていた。〈何故、ここで寝ていたのだろう?〉一番不思議がったのは、誰よりも、キエン本人だった。今にして思えば、この頃から、キエンには、最終的には彼を死に追い遣った、何某かの錯乱の兆候が兆していたのかも知れない。最も暇な男・テツが呼び出されて、キエンの看病に当たった。と言っても、今はビニールシートではなく、モルの家の布団に包まって、彼は昏々と眠っていた。家主夫婦はそれぞれのアルバイトに出掛けた。夕刻になってモルが帰宅すると、キエンは起き出し、「自分の家に帰る」と言い出して、モルとテツが制止するのも聴き入れようとしなかった。そこにサエコが帰って来て、キエンを怒鳴り付け、叱り付けた。そもそもが、帰れるどころの体調ではなかったキエンは、しゅんとして、ノック・アウトされたボクサーのように、再び床に就いた。びっしょりと汗に濡れていた枕カバーのタオルを、サエコが新しいものに交換してやった。
 この時期、キエンは、以前にも増して、一つの原稿に打ち込んでいた。その作業に、果して、全情熱を傾注するだけの価値があったのかどうか、それは判らない。それは、彼が最後に打って出た賭けでもあった。肉体と精神が共にぼろぼろになっても構わない、そういうぎりぎりの試練を自らに課すことが、人には時としてある。キエンがしていたのも、そんな仕事だった。結果は問題ではなかった。風邪が粗方治ると、彼は礼を述べて、モルの家を後にした。テツが泊りっ放しで最後まで見送った。テツは序でに、サエコが作る毎食の飯までちゃっかり食った。
 尤も、このエピソードを私が知ったのは、時が更に大分経過してからだった。当時のキエンには、私に対する密かなライバル意識があったのだろう。それ故に、自分が作品を執筆していることは、それが完成するまではネオにだけは伝えるな、と皆に口止めしていた。きっと、完成の暁に、いきなり私を驚かせでもしたかったのだろう。碌でもない愚か者・テツが、あるとき、物の弾みで、私の前でぽろっと口を滑らせた。〈いいだろう、聞かなかったことにしよう。〉キエンが日本を出立する日が近付いていた。私は、彼の前では敢えてその話題に触れず、終始沈黙を保った。その作品は、遂に未完のままに終わったようだった。書いては消し、書いては消しての、そんな作業を繰り返して、何度も反故にしては書き直した。少なくとも、彼の生前に日の目を見ることはなかった筈だ。私はその話を、彼の死後、モルの口から初めて詳細に聞いた。彼の遺品のうちには、ノートは一冊も見付からなかったし、ワープロ原稿も勿論なかった。恐らく、死を選ぶ直前に、キエンが自らの手で全て破棄したのだろう。そういった類の逸話は、著名な芸術家たちの伝記でも、しばしば耳にする。別段、我々は「著名な芸術家」でも何でもないのだが…。

   *

 天井の明かりの消えた暗い部屋で、今、キエンは、卓上のスタンドの明かりだけを点けて、ノートに向かい、ペンを走らせている。ペンは殆ど滞ることなく、比較的速い速度で進んでいる。作品の中の主人公は、今、渦巻くような世界の中心に突っ立ち、雄々しくタクトを振いながら、全世界に向かって号令を発している。彼の身体には、確実な歳月を生きている、という手応え、確かな実感が満ち溢れている。だが、これは、あくまでも作品の中だけの話だ。それを書いているキエンはと言えば、髪も髭もボサボサ、このところ食事だって碌に摂っていない。勿論、風呂にも入っていない。私が訪ねて行くと、チェーン錠を掛けた玄関ドアを開いてこちらを確認し、それから一旦ドアを閉めてチェーン錠を外し、再度ドアを開けて、私を部屋に迎え入れた。彼の部屋には、本の山と、CDのプラスチック・ケースとが散乱し、テーブルの上の缶製の灰皿には、吸い殻と灰が溢れていた。
「携帯の電源、入れとけよ。連絡が付かんかった。お前、まだ、飯、食ってないだろ?」
 キエンは、それがどうした、という顔付きをした。
 私は続けた。
「久し振りに飯、奢っちゃる。金が入ったんだ。何処か、食い行こうぜ」
「今、それどころじゃないんだ。原稿、シコシコ書いてんだ」
「だったら、一段落するまで待ってやる。だから、飯、食い行こうぜ」
 寿司なんかどうだ、と私は言った。
 他人が部屋にいると書けない。キエンは子供染みたことを言った。私はふんと鼻を鳴らし、自分の煙草を取り出して火を点け、「インスタント・コーヒー、あるだろ?」薄汚れた薬缶に水道水を入れて、コンロに掛けた。ガスの青い炎が、薄暗い部屋でジジッと音を立てた。
「で、何書いてたんだ? んあ?」
「さあな」
「小説か、詩か? それとも、エッセーか?」
 エッセーなんか書くか馬鹿野郎。キエンが言った。
「コーヒーの渦の中心に立って、雄々しく世界と対峙している男の話さ。どうだ、カッコいいだろ」
「それって、面白いのか?」
「さあな」
 薬缶にお湯がぽこぽこ沸いて来たので、私はコーヒーの瓶の蓋を捻って開けたが、開けてみると、中身は空っぽだった。底の方に、僅かに粉の残りがへばり付いている。
「コーヒー、ないじゃないか。コーヒーのこと書いてるんだろ? コーヒー、ないじゃないか」
「買い置きがある」
 キエンは、部屋の奥のクローゼットを開き、よっこらせと衣裳ケースを引き出した。ケースの中には、インスタント・コーヒーの未開封の瓶が、二十ばかり、ずらりと並んでいた。
「な、あるだろ?」
「変なところに、しかも、やけに沢山仕舞ってんだな…」私は、少しおかしな感心を洩らした。それから、「お前も飲むだろ? 入れてやる。二人で仲良く、コーヒー・ブレークと行こうや」
 私はキエンから手渡された新しい瓶を開け、洗い場と流し台に放置してあった、適当な二つのマグ・カップに、同じく放置してあったスプーンで粉を、それから、お湯を注いだ。勝手知ったる台所、とでも言ったところだ。薬缶からお湯を注ぐ私の熟れた手付きを、キエンが脇から繁々と見守っていた。
 二人がテーブルに着くと、キエンが、突然、やはり鼻をふふんと鳴らして笑い出した。
「お前のこと、そのうち、小説に書いてやるよ。コーヒーを入れる専門家、ネオ。必ず、絶対に書いてやるよ。それで、そのまま、コーヒーの渦の中に立たしちゃる」
 彼はそう言うと、ギャハハ、と声を立てて、爆笑してみせた。
「おう、出来るもんならそうしてみろ。どうせ、筆力が足らんやろ」
 私も軽く往なしてから、心持ち頭を屈めて、ライターで二本目の煙草に火を点けた。

   九、

 息子が高熱を発した朝は決まって、私はいつも天手古舞いになる。保育所と職場に急いで電話を掛け、インターネット上で慌ててクリニックの予約を取る。そして、帰宅後の二人分の昼食の準備。これら全てを、私が一人で熟さねばならない。彼にはまだ「休養」という概念がないから、咳き込みながらも少しもじっとしていない。私の両親の体が空いている日には、両親の許に息子を預けた後、私だけが午後から出勤することもある。それでも、この頃は、効能を根気強く説明すれば、息子は納得して自分から薬を飲むようになったから、大分楽だ。嫌がって抵抗する口に、プラスチック製のスポイトで、少量の水に溶いた粉薬や水薬を、無理矢理突っ込んでいた去年の冬までに比較すれば…。恐らくは、夫婦が両方揃っていても、この大変さは同じなのだろう。また、約三ヶ月に一度はある、保育所の保育参加や懇談会。父親が出席しているのは、私くらいのものだ。自分がかなり惨めな気持ちになるのを、私は、とてもではないが抑え切れない。毎日の夕刻に、時間に遅れないよう、急ぎ足で保育所へと向かう。普段ならばなかなか帰ろうとしない息子は、夕飯を祖父母の家で食べる水曜日と週末だけは、喜び勇んですぐに帰途に就く。とても骨が折れ、寒い季節でも私は汗だくになる。だが、これもやはり、程度の差こそあれ、何処の家庭でも似たようなものなのだろう。役所の保健センターからも、数ヶ月に一度の頻度で、保健師が必ず我が家まで面接兼相談にやって来る。正直なところ、自分たちが何をサポートされているのか、それともマークされているのか、よく分からない。父子家庭になってみて初めて知ったことは、色々と多い。一日が終わって、息子を寝かし付けると、それまで堪えていた疲れが私をどっと襲う。それでも、大分眠い目を擦りながら、私はペンを握る。あるいは、自身の心のうちの、沈黙を保ちがちな白い壁を見つめる。壁にときどき浮び上がる紋様たち…。
   ×   ×   ×
 突然電話が鳴ったのも、そんなある夜の、時刻は十一時の手前だった。いつもと同じように、息子を寝かし付けた後、携帯電話を手元に置いて一人ノートに向かっていた私は、すぐに、二度目のコール音の鳴り終わったところで、ダイヤルに出た。ディスプレイには、知らない固定電話の番号が表示されていた。
「もしもし、根尾君?」相手が名前を名乗る声を聞いても、些か失礼なことではあったが、それが誰だか思い出せるまでに、束の間の時間が要った。それから、私は急に、
「ああ、カーベか!」片隅に置き忘れていた記憶が、急激に、且つ、鮮明に蘇った。大学時代の旧友だった。
「思い出して頂けましたか?」彼女はくすくすと笑った。「久し振り。根尾君、元気にしてた?」
「カーベこそ、元気にしてたか? それにしても、随分と久し振りだなあ。七、八年にはなるよな?」
「うん。七、八年には、絶対なるよ、なるなる。私は凄く元気だよ。三年くらい前に結婚して、今じゃ、この前一歳になったばかりの子供もいるのよ。そっちはどう? それとも、やっぱり全然変わってないの?」
 私は、自分の置かれている複雑な近況を、彼女に手短に伝えた。回線の向う側で、嘆声と不思議な沈黙とが交互に続いた。
「へえ、奥さん、出てっちゃったんだ…。偉いね、根尾君、それでも育児、頑張ってるんだ」
「ああ、頑張ってるさ」
「今、私も子供を寝かせ付けた後で、主人もまだ帰ってなくて、時間があったから、急に思い立って、電話、掛けてみたの。ほんと、夜遅くにごめんね。この前、雑誌の広告の隅っこに、根尾君の名前が載っているのをちらっと見て、それで、元気にしてるかなあ、って、ずっと思ってて。何だか、懐かしかったよ…。根尾君、携帯の番号、変わってなかったんだね。よかった。繫がるかな、って、半分心配だったんだ。みんなも元気にしてる?」
 私は一瞬黙り込んだ。それから、唐突に、電話機の向うの彼女に質問を投げ掛けた。
「カーベ…。二年前のキエンのこと、君は知ってるのか?」
「木江君のこと? え、ああ、木江君が亡くなった、って話? 勿論、知ってるよ。知ってるし、覚えてる…。何で?」
「そうか…。誰から聞いたんだ?」
 彼女は、共通の女友達の名前を口にした。
「今、俺、キエンのこと、小説に書いてんだけどさ。あの理由が、今考えても、全然、さっぱり俺には想像付かなくてさ、俺には、何で彼奴が死んだんだか、ちっとも分からないんだ…」
「私だって同じだよ。ときどき思い出すし、理由なんて、やっぱり分からないよ。仕方なかったんだ、なるようにしかならなかったんだ、って、いつも自分に言い聞かせてる。みんな、そういうものなんじゃないの?」彼女の科白の最後は、私の耳には、若干素っ気なく響いた。
「カーベ、悄気させるような話題で、何だかゴメンな。敢えて君に聞いてみたかったんだ…。キエン以外は、相変らず、みんな、元気にやってるよ。どいつもこいつも、みんな、元気だよ」
「そう、よかった。根尾君…、根尾君だって、あんまり、考え込んじゃ、駄目だよ」
 それから、我々はしばらく世間話をした。(昨今の野菜の値段等について、etc…。)そのうちに、電話機の向うで人の動く気配と物音がして、
「あ、主人が帰って来たみたい。じゃ、そろそろ電話切るね。今夜は本当にありがとう。根尾君、おやすみなさい」
 こちらも「おやすみ」と返して、相手が回線を切った後の「ツー、ツー」という通信音を確認してから、私も携帯電話を閉じた。
〈ヨーコと、キエン…。〉
 このとき、何かを思い切り叫べたなら、どんなにかよかっただろう。私は、自分をひどく愚かな人間だと感じるのを、どうしても抑えられなかった。戸外も室内も、しかし、静まり返った深夜だった。ウイスキーを舐めながら白い壁を見つめ始めたあの夜以来、繰り返し私を襲って来る、遣り場のない激しい怒りに似た感覚――それは、このときにも、ぐっと堪えて、それが、徐々に、自ずと冷めて行くのを待つより他なかった。

   十、

 ヨーコは今、キエンとの日々を、再び思い出そうとしている。〈あの頃の私たちには、一体どんなことがあったっけ?〉――彼女が生まれて初めて交際した相手。彼が亡くなった二年前という期間すらも、ややもすると、自分の子供を漸く一歳まで育て上げたばかりの今の彼女の感覚には、永く遠いものに感じられる。〈況して、私たちが付き合っていたのは、もう十年以上も昔の話なのだ。〉細部の思い出せない会話。手を繫いで歩いた地下街。〈最後に電話で喋ったとき、私は何を話しただろう?〉彼の雰囲気、匂い、声の質――それらが一体となって、彼の顔は何故かはっきりとは思い出せないままに、彼女の胸のうちに、それらがゆっくりと立ち昇って来るようだった。喧嘩、喧嘩、会話、仲直り…。そしてまた喧嘩、そしてまた仲直り。今ではもう漠然としか思い出せない、二人が共有した時間の流れ。彼女は、一度だけ、キエンの作品を読んだことがある。余りにも難解な文章で、ひどく辟易したのを覚えている。だが、今となっては、それさえも、いい思い出だった。「自分は絶対に作家になるのだ」と常に豪語していたキエン。大学院への進学が決まったとき、正直なところでは、迷っていた彼。会話、相談、喧嘩、そして、別れ…。最後に会ったとき、彼は駅の階段の上に立って、彼女に向かって両手を振っていた。それが、結局は、彼女にとって、彼の姿の見納めとなった。それでも、会うことはなくても、ときどきは電話やメールで、お互いの近況を知らせ合う年月が続いた。しかし、徐々に関係は疎遠になって行き、最終的に二人は音信不通になった。彼がハンガリーに留学した、と人伝に聞いたのも、随分と以前のことだった。
「あの頃はいつも木江君がいた」――ヨーコは不意に呟いてみて、その科白の響きが、まるで映画か小説のタイトルのようで、可笑しくなった。それから、急に悲しくなって、両目に僅かばかりの涙が溢れた。ハンガリー――そんな異国の地で、彼の身の上に、一体何があったのだろう? 今の彼女には、とても推し量ることすら出来ない。目を閉ざし、瞼の裏の冷たい闇を手探りする。二年前、彼の訃報に接したときにも、しばらく泣いたものだ。〈あなたは、どんな顔? あなたは、どんな声をしてた?〉――〈あの頃はいつも木江君がいた。〉
 このとき、束の間の午睡から目覚めた子供が、襖の陰からよちよち歩きで、目を擦りながら、リビングの彼女の前に出て来た。こうなると、ヨーコは、最早一人で考え事どころではなかった。子供の相手と世話をしなければならなかった。
「ツヅちゃん、お早う。よく眠れた?」
 ツヅはまだ眠たそうな目で、甘え声を出して母親の膝に擦り寄って抱き付いた。多分襁褓も替えてやる必要があった。急に忙しくなり、悲しみに似たその感覚は、ヨーコの頭から一時的に消失した。キエンとの日々、あるいは、その顔や声を思い出そうとする試みは、しばし脇に捨て置かれて忘れ去られた。

 深夜だった。
 誰かに肩を強く揺さ振られて、ヨーコは無理矢理に目覚めさせられた。初め、自分が何処にいるのか、何をしていたのか、全く分からなかった。彼女は自宅のベッドの上に横たわっていた。
「どうした、大丈夫か? 魘されてたぞ」――夫の声。
 彼が点けたのだろう、小さなオレンジ色の電灯が、天井にぽつんと点っていた。夫は彼女の脇に起き直り、彼女の顔をじっと覗き込んでいた。彼の片方の手が、彼女の寝た姿勢の肩に掛けられていた。
「え? ああ…。夢を見てたみたい」〈魘されてた?〉違う。自分は嬉しくて、――余りにも嬉しくて、叫んでいたのだ。
 彼女も上半身をベッドの上に起して、髪を纏めていない頭を心持ち振った。
「起しちゃ悪いかとも思ったんだけど、あんまりひどく魘されてたもんだから…。悪い夢でも見てたんだろ」
「え、ああ。ありがとう」彼女はぼんやりと答えた。
 薄暗いオレンジ色の光の中見透かせる、枕元のデジタル・アラームの液晶表示が、三時を回った刻限を示していた。ツヅは、部屋の片隅に置かれたベビー・ベッドの柵の中で、すやすやと眠っていた。
 ヨーコが見ていたのは、悪い夢ではない、全く逆だ。〈摑んだ、鮮烈なイメージ…。〉夢の名残りが、未だに彼女の身体と頭を痺れさせていた。
「明かり、消すぞ。ちゃんとまた寝ろよ」
 そう言うと、夫は伸び上がって蛍光灯の紐を引っ張った。室内は暗闇に包まれた。ヨーコも再び身を横たえた。すぐに隣のベッドから、彼の穏やかな寝息が、すうすうと聞え出した。ヨーコは、仰向けになったまま、すぐには眠ることが出来なかった。
〈木江君…。〉
 彼女は先刻、夢でキエンに会っていたのだった。夢の中では、映像も声も、全てが鮮やかではっきりしていた。年齢だけが、若かったのか、それとも現在なのか、分からない。白い眩しい光に包まれて、川縁に、ヨーコは、キエンと並んで座っていた。水面もまた、きらきらと光り輝いていた。〈私は摑んだのだ、イメージを。私は今、木江君をこんなにもはっきりと思い出せる。あなたを身近に感じられる、まるで自分の身体のように。〉思春期の頃に感じたような、ときめきの感覚が、彼女の胸を内部から丸ごと鷲摑みにして、なかなか離れようとしなかった。〈夜の静けさの中で、私の心臓がどきどきと脈打ってる…。〉
 しかし、その、半ば麻痺にも似た、彼女の身体と頭の興奮状態も、やがて覚めて行き、彼女もいつしか、うつらうつらと、再び浅い眠りに落ち込んで行った。そうして、彼女が再度深く完全に寝入った頃には、夜は、もう徐々に明け初めていた。

   十一、

 この物語は、明るい希望や、況して、何らかの恢復に関する記録ではない。自滅した男の、半ば言い訳めいた独白、自虐的な長広舌に過ぎない。私は壁を見つめ、キエンを見つめる。何冊かに渡って書き連ねられるこのノート自体が、今は亡き彼に対する、最早答えなど何ら期待出来ない、ひどく間の抜けた問い掛けとなる。あるいは、間抜けな私が私自身に問い掛けている、と言ってもいい。いずれにしても、雨はしょっちゅう降るものだし、天候や季節によっては、逆に、豊かに繁った緑や川面が、圧倒的な眩しさで以て輝く。死者に口はなく、だから、何かを語るならば、まだ生き残っている者たちが語らざるを得ない。そうでないならば、物語など、端から成立の仕様がない。しかし、この物語の筆者たる私のうちには、実は、語りへの強い衝動など殆どないのだ。私のうちにあるもの、それは、黙しがちな記憶と、私を頻々と訪れる例の虚しさだけだ。――〈仕方なかった〉、〈なるようにしかならなかった〉、〈みんな、そういうものなんじゃないの?〉…。確かに、ヨーコが私に告げた見方、一つの考え方を、一側面としては持っていいし、実際、大抵の人間は、近かった者の死を、彼女のように捉え考える。誰かの思考を縛る権利が、私にあるわけでもない。そんな権利は、誰にもある筈がない。しかし、それでは、この物語は何処へも進まなくなってしまう。私には、人間の心理が、果して、複雑な構造をしているのか、それとも、単純な構造をしているのか、それさえも、はっきりとしたところでは、よく分からない。少なくとも、一般的な判断は付かない。それでも、自分について言えば、私は、自身を単純な人間だと、漠然と考えている。そう感じている。だが、全ての人間が単純だ、というわけでは決してない。そのようなことを言う積りも私には更々ない。滑稽な、こんなみすぼらしい私に付き合ってくれる奇特な相手は、この白い壁と、ときに軽やかでときに重たい、あの虚しさとの、たった二つだけだ。深夜に、私は一人白い壁を見つめ、そこに浮び上がって来る種々な紋様を、ただ、黙々とノートに記録して行く。あるいは、自身のうちに記憶して行く。孤独の感覚ですらも、ある種の例外的な人々にとっては、ひどく慕わしく感じられることがある。
〈人間には、果して、生きる価値などあるのだろうか?〉、〈我々の、この記憶とは、何か?〉…。私がじっと取り続ける、この下らないノート。〈自分のものとして、確かに摑んだ、彼の確固としたイメージを…!〉――あの未明に、彼女が強い確信を持ってそう感じていた、そのイメージすらも、敢えて付言するならば、これさえもが、結局は、一時的な、そのとき限りの、彼女だけの儚い感覚に過ぎない。彼女がキエンを、再び思い出すことが、この先にだってあるのかどうかすらも、確たることは、私には言えない。人間の生自体は、ときに、非常な〝軽さ〟という性質を帯びるのだが、意外にも、この事実を知覚している者は、極少数に限られている。そんな視点に立って見ることが、もし当時のキエンに可能だったならば、結果は、――あの結末は、――あの時期、彼を襲っていた、何かに対する焦慮、〝焦り〟の感覚でさえも、全然別なものになっていたかも知れない。尤も、キエンの死を、若干は客観的に、冷静に思い返せるようになった今頃になって、私は漸く、このように述べることが出来る、というだけの話なのだが…。手遅れになってしまったり、無駄に終わってしまう経験も、人生には、また数多い。
〈お前の生にも、みすぼらしいなりに価値があり、だから、お前は、生き続けなければならない!〉叫んでいたのは、私だった。〈ネオも来てみろよ、こっちに来てみろよ!〉今でも呼んでいるのは、キエンだ。しんと静まり返った部屋。白々しい蛍光灯の明るさ。そして、私の目の前で、今は沈黙を保ち続けるこの壁。――済まないが、キエン、私はまだ行けない。虚しさを日々感じながら、それでも、私はもうしばらくこの生を生き続けるだろう。お前の呼び声に覚える懐かしさは、とても抑え切れないのだが…。

   十二、

 いきなりキエンの母親から電話が掛かって来たときには、正直、吃驚した。あの日も終日を雨が覆っていた。私がキエンの母に直接会ったのは、学生時代の一度切りで、そのときは、宅配の寿司をキエンの部屋で御馳走になったものだ。当時彼と交際していたカーベを紹介する席に、場を和やかなものにするためだろうか、何故か私も招ばれたのだった。電話は、キエンの突然の訃報を伝えるものだった。私は駅のホームの庇の下で、電車を待っていたところだった。ホームにゴトゴトと入って来た、雨に濡れた目当ての各駅停車を遣り過し、ベルや乗客の足音が再び静まったホームで、私は茫然と立ち竦みながら、しばらくキエンの母親と話し込んだ。〈何でだ…?〉濡れて光る茶色いレール。片手には、やはり濡れた雨傘。掲示板にピンで貼られた公共ポスター、またポスター。私は携帯電話をぎゅっと耳に押し当て、それを強く握り締めていた。キエンの母の声が遠く感じられた。〈何でなんだ…?〉もっと大きな声で喋って欲しくて、とてももどかしかった。だが、彼女も、取り急ぎ出向いたハンガリーから、昨日帰国したばかりだった。キエンには、元々父親はなかった。
「どうぞ、あの子が生前お世話になった、お仲間の皆さんにもお伝え下さい。ありがとうございました、と…」
 私には、涙さえ出なかった。元来、私は余り泣かないタイプだ。こんな報せを受けて、いきなり泣き出すような輩も、多分そうはいないのだろうが…。それでも、自分の心を落ち着かせて喋ること、相手の声を聞き取ることだけには、そのときの私も、やはり必死だった。報せてくれたことへの謝意を述べ、「お気持ちを落されませんように」とでもいった、ひどく紋切型の、有り触れた文句を何度か言って、私は電話を切った。次の電車の車内で、私は細長い通勤車輌シートで揺られながら、一切の言葉を失っていた。脳内が真っ白になっていた。目の前の車窓を次々と過ぎて行く、濡れそぼつ低いビル群、夕刻の灰色の風景――あの日から、今ではもう二年が経つ。
 今でも、その夜帰宅した後も明かりを点けずに、暗い部屋で、一人ぼうっと突っ立っていた自分を覚えている。私は、離婚以前の職をまだ続けていた。私の息子は、祖父母の許に預けられていた。携帯電話をすぐに弄ることが躊躇われ、そして、憂鬱にも感じられた。それでも、私が一部の連中たちに、やっとのことで至極短いメールを一斉送信したのは、既に午前零時を回った深夜だった。キーを打つ指が若干震えていた。結局、私はその後も一滴も泣かなかったが、その日も夜まで雨は降り続いていて、自分の代りに空が泣いているようだ、と私にはぼんやり感じられた。連中から次々に着信が入ったのは翌朝になってからで、一部の者は戸惑い、混乱して、慌てて私に掛けて来るのだった。だが、私だって混乱していた。それに、早朝だった。短く話し終えて電話を切ると、私はその度にかなり自失した。ずっと何も連絡を返して来ない奴らも何人かいた。彼らもやはり戸惑い、あるいは、私なんかよりももっと混乱していたのかも知れない。それとも、別のことで忙しかったのだろうか? 季節は梅雨のことで、雨ばかり降る日が延々と続いた。例のエアメール、ハンガリーから届いた一枚の葉書を、私はテーブルの上に置きっ放しにしていた。帰宅する度にそれを手に取り、裏表を引っ繰り返して矯めつ眇めつし、そしてまた、テーブルの上に放った。一人暮らしのようなものだったから、洗濯さえ碌にしていなかった。掃除は全くしなかった。毎晩飯を外で食べていた所為で、冷蔵庫には消臭剤と製氷ケースくらいしか入っていなかった。深夜の台所に立って、一人水道水を飲んでいると、冷蔵庫の唸る音が微かに聞えた。そして、その夜も戸外に降り頻る、しんみりした雨の音も…。
 全てが虚ろだったあれらの日々から、早二年が経つのだ。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。――季節は巡ってまた繰り返すが、人は決して同じではない。」古い時代の中国の詩人が詠った、有名なあのフレーズ。ある種の普遍性には、どうやら、時間も国境も関係ないようだ。

   十三、

 モルが我々の学生文芸誌に初めて寄稿した作品は、いきなりに同人の我々の頬を打ん殴り、我々を圧倒した。もう十五年近い昔の話だ。それは、二篇の完成された抒情詩で、それでも、本人に言わせれば、まだまだ生硬なものだった。この天性のニヒリストを、我々の眼前に突如顕現した超新星に譬えるならば、キエンや私は、いつまでも輝き出せない地味な小惑星、よく見ても、未だ発見されていない暗い星雲だった。当時の我々には、ただ毎日矻々とノートに向かうか、あるいは、間断なく読書の量を積み重ねるか、そのどちらかくらいしか、出来ることはなかった。尤も、キエンは、結局それらのノートまで引き連れて、呆気なく宇宙空間に消滅してしまったが…。我々は、大学の地下にある印刷機と、手持ちのホッチキスとで、自分たちの手で冊子を作るのだった。それはちょっとした無賃の労働だった。
 私が下血したのは、そんな製本作業予定日の朝のことだった。自宅の便器が真っ赤に染まった。真面目に戸惑い、しばらく思案した後、それでも、私は大学に向かった。肝心の印刷原版は、私の鞄に入っていた。これがなくては、作業が何も出来ないのだ。手を付けることすら出来ない…。大学の便所と、製本のために借り切った地下講読室とを往復する私を見て、皆が私に「病院に行け」と言った。日曜日だった。行くとすれば、緊急外来のある総合病院しかない。出血が若干治まっているのを確認してから、後の作業を彼らに任せて、私は徒歩で、幸い近隣にあった大学病院に向かった。私が緊急患者用の非常玄関口から、無人の待合ロビーに入ると、丁度後ろから同人のイケが追い付いて来て、「ネオ!」私に声を掛けた。自転車の彼女を私の付添いに派遣したのは、皆の判断だった。「念のためだよ」イケが言った。
「君は便秘質かね?」緊急患者用の小さな診察室で、担当医は尋ねた。
「どちらかと言えば、よく下痢をします」
 ジーンズとトランクスを脱ぎ、ベッドに俯せに寝かされて、担当医の親指が私の肛門に突っ込まれた。彼は繁々と、私の肛門の奥を観察していた。
「ふむ、痔ではないようだな。指に血が付かんし、今のところ何処も出血しとらん。よし、レントゲンを撮ってみよう」
 私が診察室から出て来ると、私の悄気た顔付きを見て、「どうだった?」イケが心配そうに尋ねた。
「俺のヴァージンは、最早ボロボロだよ…」実際、泣きたいくらいの惨めさだった。
 ヘテロ男子め。――イケがそう言って、私の腕を軽く小突いた。「ぐえっ…!」
 レントゲンの撮影が済み、再び診察室に通された私がスツールに掛けると、即座に担当医が言った。
「君の何処が下痢の体質なんだね? 君は立派な便秘質だよ、それも滅多にいないくらいの。これを見なさい。君の大腸には、沢山の便がモリモリ詰っている」
 成程、白板上で裏から照明の当てられた黒いフィルムには、はっきりした白い骨の他に、雲のような姿のウンコらしきものが、モクモクと、且つ、非常に薄らと、大腸の形そのままに、やはり白く映っていた。私の腸は、ウンコで一杯だったのだ…。
「中に詰っている固い便の所為で、一時的に腸壁が切れたんだろう。しばらく、このまま様子を見なさい。何、すぐに治ると思うよ。今日は薬も出さない。明日、もう一度来て貰って、精密検査を受けて貰う必要はあるがね。予約を入れとくから、明日は必ず来るように。大事な君自身の身体のことだ、必ず来るように。まあ、若いから、何処にも異常は見付からんと思うが…」
 再び診察室から出て来ると、今度は、イケの隣に、キエンが座っていた。連中は、キエンまで派遣した、というわけだ。彼について言えば、心配してのことなのか、それとも、ただの巫山戯た冷かしなのか、よく分からない。きっと、両方だったのだろう。
「で、どうだった、ネオ?」二人は尋ねた。
 私は彼らにあらましを説明した。キエンだけが、一人、爆笑した。
「よかったじゃないか! ほっとするぜ、お前には沢山のウンコが詰ってる、って考えるとな。しかも、これは、医者からの立派なお墨付きなんだぜ。凄いことだ!」
 イケも、漸く微笑んだ。
 三人で談笑しながら、歩いて大学に戻り(イケは自転車を押していた)、地下への階段を降った。皆の作業はまだ続いていたが、しばし手が休められ、皆が私の「お墨付き」を祝福してくれた。ここまで来ると、世間体など、どうでもよくなるものだ。私は戻る途中に自販機で買ったペットボトルのコーラをぐいぐいと飲み、「すげえだろ」椅子に踏ん反り返って、何度も自慢した。「俺には、ウンコが一杯詰ってるんだぜ。まさに、歩くウンコだ」出血は、既に完全に治まっていた。
 下血――。下血しても、製本作業にはちゃんと出席し、参加すること。同人たちの間に、伝説的な、素晴しい前例が出来上がった。このことだけは、未だに私も自慢していいだろう。レントゲン・フィルムに薄らと白く映った、ウンコで一杯の、モクモクした私の腸の姿…。格段に優れた作品を書く奴もいれば、作品は全然駄目で、行いだけが格段に優れている、私のような奴もいた。セン、ヒロ、ユキ、ケン、その他、その他…。思い出せる奴らだけでも沢山いる。もう私が思い出せなくなった奴らだって、きっと、沢山いるのだろう。我々がやっていた、あの学生文芸誌とは、そんな、有象無象の連中が集まった、緩やかな集団だった。中には、少しばかりの綺羅星もあった。大腸がウンコで一杯の奴だって、私の他にも、きっと、少なからずいたことだろう。

   十四、

 キエンは自ら死を選び、それでも、私は敢えて、自分にまだ残されている、この惨めな生を選ぶ――。
 一枚のエアメール葉書。――そこに走り書きされた、五行にも満たない、息の詰るような〝苦しさ〟との別れ…。あの当時のキエンを、日々捉えて離さなかったのは、ある種の、どん詰りのような感覚だったのだろう。彼は、真剣に生きようとし、真摯に悩んでいた。そして、真剣に、真摯に生きることが、最早、当時の彼には困難だった。
 あの雨の日、駅のホームで、キエンの母親から電話を受けた、その瞬間に、彼女が名前を名乗るのを聞いた、もうそれだけで、私には、早くもその電話の内容への察しが、粗方付いていた。人生には、そういう場面が間々ある。無性に煙草が吸いたくなり、あるいは、酒でも飲んで酔い潰れてしまいたかった。だが、私は、そのどちらもしなかった。明かりの点いていない暗い部屋に一人突っ立ち、放心していた。全てを覆っていた、雨の響き…。
「記憶とは何か?」――これは、この物語の、一つの主題だ。「人間には生きる価値があるのか?」――今、これが、もう一つの主題となっている。死すら選べない生、これもやはり、一つの屈辱ではあるだろう…。後者の主題については、どんな一般的な答えも見出せないまま、この物語は幕を閉じることになろう。絶望を見つめ続けながら生きることも、何かの信仰者になって生きることも、今の私には、とてもではないが、出来そうにない。だが、それにも関わらず、私は生き続けなければならない。これは、私自身の尊厳に、あるいは、倫理に関する問題だった。
   ×   ×   ×
「チャオ!」という、陽気な呼び掛けからいつも始まる、イタリア発の、イケからのメール。彼女もまた、大学院在学中の二年間、トリノでの留学生活を経験していた。「特に孤独は感じなかったよ。イタリア人の友達も沢山いたしね」――人によって違うこともあれば、国によって異なることもあるのだろう。今どき、海外留学の経験など、この巷には有り触れている。そんなのを聞いて、「スゲエ!」と一々声に出して驚く奴は、世間知らずなテツくらいのものだ。彼奴は、新聞だって碌に取ったことがない。「え? だって、インターネットで全部分かるじゃんか」…。
〈蝿や蚊は、そんなこと、考えないだろう?〉――だから、どうしたというのか? 我々は蝿や蚊ではない。蝿や蚊を見習う必要もない。絶望こそは、人類の特権でもある。だが、キエンの死を、これ以上、徒に弄り回すのは、もう止めよう。死者は安らかな眠りに就くべきだ。あるいは、薄暗い部屋で、一人、机に向かうべきだ。卓上の電気スタンドだけを点けて…。
〈よかったじゃないか! ほっとするぜ、お前には沢山のウンコが詰ってる、って考えるとな。〉――最後の頃のキエンには、ウンコではなくて、絶望や苦しみのようなものが、胸の奥まで、あるいは、喉元まで、一杯に詰っていたのだろう。これは、あの葉書と共に、私が、あの日々からは遠く隔たった、日本で、今、思い返し、思い描いてみるだけだ。今の私には、それしか出来ない。〈何でなんだ…?〉
「自分から死んじゃう人間の気持ちは、俺には、全然理解出来んなあ」例の愚か者が言った。――お前の理解などは、端から、誰も求めてはいない。

   十五、

 キエンの母親から再び電話があったのは、前のあの電話から一ヶ月ほどが経過した、七月の下旬だった。長く暗かった梅雨が漸く明けて、季節は、眩しい夏に移っていた。その頃の私は、息子との生活を一からやり直すために、退職の手続きを進めていた。次の仕事は、まだ見付かっていなかった。
 電話の内容は、極簡単なもので、キエンの文章が掲載された冊子が、もし残っていれば、コピーでもいいから送って欲しい、という依頼だった。私は二つ返事で引き受け、翌日、自宅のクローゼットに仕舞ってあった段ボール箱を漁って、至極簡略な手紙――キエンの筆名を伝えるもの――と共に、郵便局から、彼女の許にそれらを発送した。後日、礼状が返って来て、それから、我々の間の連絡は途絶え、終わった。
 次の仕事が決まった日の翌日の午後、私は報告がてら、久々にモルの家に出向き、しばらく、サエコも交えて三人で語り合った。モルは、昨年第一詩集を上梓したばかりで、彼のニヒルな口から言わせても、〈評判は、まずまず。〉だった。
 モルの家に一瓶あったインスタント・コーヒーを、私は、やはり自分で勝手に入れて、飲んだ。「ドリップ式の方が美味いじゃないか」モルが言った。
――自分は、インスタントが好きなのだ。
 キエンの部屋で見た、ずらりと並んだ瓶の光景が、私の頭に一瞬浮んで、そして、消える。あの科白――「コーヒーを入れる専門家」。そう、私は、コーヒーを入れる専門家なのだ。それも、インスタントの…。しかし、別に、次の仕事というのは、全くコーヒーとは関係していなかった。
「いよいよ、本格的にアラちゃんと二人で暮らすんだね。育児って、やっぱり大変でしょう?」出産経験のないサエコが言った。
「父親だからな。義務だよ、義務。無賃労働だよ。報酬は、あいつの笑顔と寝顔、ただ、それだけ」
 ネオも、随分と変わったものだな。――モルがぼそっと言った。昔は、もっとやんちゃだった筈だが…。
「今でも、十分やんちゃだぜ」
 父子家庭の父だもんね。世間的に見ても、そうはいないよ。――サエコが明るく言った。
 キエンのことは、余り話題には上らなかった。敢えて触れる必要もない、という、若干の気まずさと、同時に、漸く湧いて来つつあった、漠然とした実感しかなかった。私は、インスタント・コーヒーをがぶがぶ飲み、御代りの度に、やはり自分で薬缶にお湯を沸かした。モルの家には、保温ポットがなかった。
――そんなに飲むと、腹、壊すぞ。
――大丈夫。ドリップと違って、大丈夫なのだ。インスタントでは、俺の腹は壊れないのだ。
 砂糖は入れなかったし、ミルクもなかった。熱いブラック。マグ・カップを、私は、スプーンで掻き混ぜた。コーヒーが黒い渦を描いて、やがて、静かになった。私は、その様子を見るのが、昔から好きだった。キエンも、きっと好きだったのだろう。だから、〈コーヒーの渦云々…〉などと、抜かしていたのだろう。あんなに買い置きまでして…。
――ところで、キエンだけどさ。あいつ、大分昔に、コーヒーの渦のこと、小説に書いてたんだ。知ってるか? 誰か、作品、見たことあるか? 俺には、結局、見せてくれんかった…。
「全然知らないな」モルが言った。「奴さんのことだ。どうせ、例のごとく、いつも通り、完成しなかったんだろう」
 我々がその日、キエンについて話した主なことと言えば、それくらいだった。
「梅雨が明けたな…」私が言った。
 何言ってるんだ。もう八月が始まってるぞ。――モルが言った。
「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず、か。尤も、まだ二ヶ月しか経っとらんが…」私は言った。
「誰の詩だっけ?」サエコが尋ねた。「李白? 杜甫?」
「知らんな。忘れた」
「知らないのか! 知らないで言ったのか…」モルが絶句した。「何て、適当な男だ…」
「そういうお前は、だったら、知ってるのか? 誰の詩なんだ?」
「知らん」モルが横を向いて言った。
「お前、詩人だろ? それも、立派な新進気鋭詩人だろ? それなのに、知らんのか…」
「お前が言うな!」モルが言った。「漢詩は、日本の現代詩とは、全然、事情が違うんだ。阿呆!」
「俺は遠方より来たる友なんだぞ。もう少し、鄭重に扱えんのか…」私は、がっかりしたような口調で言った。
 お前なんかは、一生三流のままだ。永久にヘボ作家だ!――怒った振りをして、モルが強く極め付けた。
 土間には、誰も寝転がってはいなかった。古い磨硝子の格子戸を、ガラガラと横に開けて、私は、このニヒリスト詩人の家を辞去した。外は既に夕暮れになっていた。

   十六、

 キエンが首を吊ったのは、アパートの屋上へと続く、最上階の上の踊り場だった。手摺に細引のロープが括られていた。第一発見者は、アパートの管理人で、彼が警察に通報した。遺書らしきものは、ノート同様、見付からなかった。ハンガリーでの火葬は、手続きに非常に煩雑な手間と長い時間を要した。キエンの母親は、疎覚えの英語で、領事館の役人の助けを借りつつも、それでも殆ど一人切りで、それらの実務的な作業を全て熟した。出国し、再び日本へと向かうジェット機の中で、彼女は漸く、久し振りに真目に、機内食の食事に手を付けることが出来た。それまでは、何も喉を通らなかったのだ。遺骨は、細かく砕かれて小さな木の箱に入れられ、その箱は白い布に包まれて、更にビニールの袋に入れられ、紙袋に入れられて、「手荷物」として頭上の物入れにあった。この静かな一人息子と共に、彼女は広い陸と、陸に比べれば狭い海とを、一昼夜を掛けて渡った。先述したように、日本は梅雨の最中。――ジェット機は、夜明けの晴天の上空から、灰色の厚い雲の層を過り下って、束の間雨の降り止んでいた、曇天の下の朝の滑走路へと、緩やかに着陸した。午前の濡つような仄白い光の中、久々に実家に帰宅した息子は、やはり終始無言のままだった。

   十七、

 最後に。敢えて、親愛なる、そして、最愛なる息子には宛てて――。幾分唐突ではあれ、腑甲斐ないこの私を、ここまで走らせてくれた、純粋な太陽へ。

  Queen : Father to Son

  Take this letter that I give you
  Take it sonny hold it high
  You won’t understand a word that’s in it
  But you’ll write it all again
  Before you die

  私が書きしるしたこの手紙を受け取ってくれ
  さあ、息子よ、この手紙を高く掲げよ
  たとえ、その言葉の意味を理解できぬとも
  おまえは死の間際に
  そっくり同じ事を書き記すだろう

 もう一度繰り返そう、この息吹きを。〝――Before you die.〟人間の生は巡り、時は移ろって行く。全てが、やがては、いつの日か、お前が自身の手で書き記すだろうもののために…。今は眠っている、私の息子よ。

   *

 目覚めると、私は、自分のパジャマが汗で濡れていることを、まず感じた。喉がひどく渇いていたが、全身を覆うようないつもの気怠さ――これは、殆どなかった。まだ深夜らしく、真っ暗な闇が部屋を覆っていた。今の今まで、私は、キエンの夢を見ていた。夢の中で、キエンは、あの頃のように、「ギャハハ!」と大声で笑っていた。隣の布団からは、息子の穏やかな寝息が聞える。
 私は、じっと身を横たえたまま、濡れた枕の上で両の瞼をぎゅっと瞑っていた。私の脳の内部を次々と激しい速度で過って行く、鮮烈な、それでいて、虚ろでもある、夥しい数のイメージたち…。キエン、――今の私には、お前が、――お前の死が、自分に身近なものにも、あるいは、自分からはとても遠い、全く共感の及ばないものにも感じられた。ただ、日々があり、それと同じ数だけの、白い壁に向かい続けた夜々があった。要は、それだけの、ほんの些細なことだった。

〈了〉

※「Father to Son」の日本語訳詞は、『クイーン全詩集』(山本安見訳、シンコーミュージック・エンタテイメント)を参照しました。

ページの上部に戻る