『悲しき天使』

東京に大雪が降った。

小学校の職員だった父が
あしたバスが止まったらスキーで行く。
と言い出した。

母は、冗談でしょうと取り合わなかったが
冗談ではなかった。

朝、バスが運休したのをいいことに
やめてやめてと止める母を無視して
団地の階段下で、さっさとスキー板を履いて
父は意気揚々と通勤して行った。

駅までずっと下り坂だったから
行ける。と踏んだのだろう。

まだ小さかった私と弟は大喜びで
ベランダの手すりにしがみついて、
誰もいないバス通りを行くその姿に
行ってらっしゃ~い!と手を振り続けた。
父は1度だけ振り返って、
ストックをこちらにバイバイと振った。

その夜、ずいぶん遅くなってから、
スキー板を抱え、汗だくで家に帰り着いた父は
不機嫌そうに熊本弁で、もう二度とせん、と言った。
帰りはずっと上り坂だったのだから…。

3DKの北側の部屋に、器用だった父が日曜大工で作った、
壁一面の本棚があった。

西洋文学大全集、大量にあった単行本、写真アルバム
映画音楽大全集などがぴったり収まり、
真ん中にはオープンリールのテープレコーダー、
その下にはレコードプレイヤーと大袈裟なスピーカーがふたつ、
針のない、数字がカシャッと変わる横長の時計を嵌め込むための
小さなスペースまで作ってあった。

緻密に作られたその棚が完璧なのを確かめたいのか、
または音楽を聴いていたいのか、わからなかったが、
父は、その前に置いたソファーで
満足げに休日を過ごすことも多かった。

私が小学3年生になった1968年の夏のある日、
父がシングルレコードを買って帰って来た。

ポール・マッカートニーが見出したという、
まだ10代だったメリー・ホプキンという歌手の
「悲しき天使」という曲。

歌詞カードを片手に英語の曲をすらすらと
レコードと一緒に歌う父を見て、私も歌いたいと
カタカナで歌詞を書いてもらい、
ソファの上で父と一緒に歌うのが楽しかったが、
それがやがて、ひとりで歌うことが多くなっていった。

気がづくと、父が家に帰って来なくなり、
たまに帰って来るとかならず母と口論になり、
狭い団地の部屋が涙でいっぱいになる日が増えた。
父も母も泣いていた。

父には、世界を敵に回しても、
すべてを引き換えにしても
手に入れたいひとができたのだ。
メリー・ホプキンと同じ年の。

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母の顔も、私と弟の顔も、見なかった。
あんなに一生懸命作った本棚のことも
父にとってはもうどうでもよくなった。

人が何を思おうが、
常識や道徳がどうであろうが、
あの冬の朝とは少し違って
父は1度も振り返らずに、去って行った。

けれど運命は未知のタイミングで変化する。

父とその女性との間に生まれた3人の子供のうち
一番下の弟が19歳になった時、はじめて彼のほうから会いに来てくれた。
その頃には私はシンガーソングライターとして活動していたので、
レコード会社の連絡先をみつけ出してくれたのだ。

親子ほど年齢が離れた、会ったこともない姉である私が
どんな人間かもわからなかっただろう。
それでもおそらく勇気を持って、彼は会いに来てくれた。

その時の、母親似で優しい顔立ちをした彼を見た瞬間の、
無条件に愛おしく溢れるような感情は
自分でも戸惑うほど率直だった。

記憶を覆っていた暗闇のベールがみるみる取り除かれ
光だけが残るような、

この子がこの世に生まれて来てくれたのだから
すべてはすごくいいことだったに違いないと
心から素直に思えた。

ずっと離れて生きてきたのに
きょうだい合わせて5人が全員深爪をする癖があることも判明した。
他にも父から受け継いだもう少しマシな共通点があることは、信じたい。

父に振り回される一方のように見えた母にも
のちにこの上なく大事にしてくれるひとが現れる。

「あの日々がずっと続くと思っていた」とリフレインする「悲しき天使」。
柔らかい風のような歌声と、美しいメロディが
今となっては光に満ちていた日々の象徴となって
私の心の支えとなってくれている。

あのあと、ほんの何回かでも
もう二度とせん。と、後悔がよぎる瞬間があっただろうか。

あの日々がずっと続くと、
父も思ってくれていただろうか。

そんなことを時々は考えてしまうけれど。


新居 昭乃(あらい あきの)

◀1984年、第28回ヤマハポピュラーソングコンテストに楽曲「金色の目」で入賞。 1986年「約束」にてメジャーデビュー(劇場用アニメ『ウインダリア』主題歌)。ファーストアルバム『懐かしい未来』を発表時、青木景子(現・早坂類)が作詞で参加、のちにシングルカットされるも、その後、新居昭乃としての表立った活動を停止。種ともこ、PSY・Sなどのライブやレコーディングへの参加、CM、アニメの分野を中心に活動をつづける。1997年、アルバム『空の森』『そらの庭』を11年ぶりにリリース。以後、ゆったりとしたペースで質の良いオリジナルアルバムを創り続けている。Zepp Tokyo・東京国際フォーラムなどでライブを行い、2006年には初の海外ライブ(ベルリン・パリ)を成功させるなど活動中。

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