恢復

 インフルエンザに罹ったのは何年振りのことだろうと思った。寝んでいても身体が痛む。医師には止められていたが、二日目になった夕刻、ロキソニンを買って来てもらった。碌にものを食べていなかった。勿論、風呂にも入れる状態ではない。
 快方に向かったのは四日目だった。まだ外出を控えねばならないので、解熱後も私は一人でじっと室内にいた。こんな時間、こんな空間を、私は憶えがあると思った。コーヒーの香りが立ち、あれは誰だったろう? シュンシュンと鳴る薬缶…。
(朝日に包まれたダイニングで、テーブルに向かって、私はその文章を書いていた。)
 もう長いこと、自分はまるで早瀬にでもいたような感覚がした。しかし、いつから? 代わりの回答を、私は答えたかった。だが、その回答はまだ、渦巻くブラックホールのようなイメージに過ぎない。岸辺に打ち上げられて、漸くに自分は呼吸していた。
 六月のことを思った。また、蜉蝣のことをも…。夜になって、ポーの話をした。何処かから、気配が忍び寄るようだった。家族が寝てしまうと、彼らに伝染さないためにも、私は一人で別室で寝るのだった。扉が僅かに開いていて、彼らの寝息が聞えていた。
 四月になれば、と私は思った。私は明かりを消し、暗がりに起き直ったまま、目を瞑っていた。兎も角も、今は寝ることだった。休むことだ。それでなくとも、もう春は近いのだった。何処かで、――というのも、ここではない何処かだったが、――日が眩しく輝き、七歳になったシンが笑っていた。やがて、私は久方振りの、健やかな眠りに落ちて行った。

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