詩村あかね/詩「夏の食卓で」

四角い視野が示す向こう側に 眠ることもゆるされない
戦場(いくさば)の 茫洋たる荒野が続いていた
傷ついたひとりの少年兵が 映し出されていた
夥しい流血が乾土に滴り 浸み込み
運ばれていく彼の視線を
パンを食む夕暮れの食卓で
私は凝望した

ここにもまだ うつくしいものがあった
つちに たおれた ぼくは おもった
くさはらの くろいかげ いきている ぼくの かげぼうしは
いままでみた どんなものより うつくしかった
くびすじから あせのように ながれる ち
むねから ふきあがる ち
いのちが ゆらいでいる ゆらぎながら うすくなる
かげぼうし ひとりぶん の からだは
たいようの ひかりを しゃだんして つちのうえに
しゅいん のような あとかたを のこす ぼくが
しんだら なつよ おわれ
ないているのは かあさんか かあさん なかないで
ぼくを うんだことを くやまないで
そらの ひびわれを はやく うめなくちゃ
かあさんも しんでしまうよ
ともだちは まちがったまま ころされてしまうよ
いえの まわりの くさはらは
なつのにおいで いっぱいだ
あのころの なつかしい なつの においだ
とおくから うちひびく ばくげきの しんどう
そらを やきつくす ほのお ほのおの むこうで
ゆがむ かお は
たんかに のせられた ぼくが みたのは
ひざしに すける ぼくの かげ
ぼくを うばうのは なつ だろうか
あのころと おなじ やわらかな てのひらで
ぼくを みちびくのは だれだろうか
どこへいった ぼくの ほんとうの なつ
クレパスでぬりこめた そら アマリリスのような かあさん                                     
かわに はねる マスのような いもうとや おとうと は
ぼくを つれさるもの
ぼくは みつめている
なつの しょうたいを

指先でちぎったパンが 手の中で 硬くなっていた
パンは 枯草の匂いがした
食卓の花は 乾いた血だまり色だ
ベランダの陽は 銃を焼いている
近づく遠雷は 爆音か
少年は
私を
みていたのだ

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