数年前、自動車のタイヤのCMで福山雅治が山頭火の句をつぶやいていた。「雪へ轍の一すぢの跡」「雪がふるふる雪見てをれば」。スタッドレスタイヤのコマーシャルの冒頭に、これらの句はいかにも寒さの象徴として、人を引きつける緊張感を湛えていた。昭和十五年に没して後、70年余を経て、自らの句がテレビの画面に映し出されているなど、山頭火が知り得たらどのように見ただろう。
今回の造本は「一種類の紙でできた本」。
表紙、本文紙、見返しすべてにネパールの「ロクタ紙」を使用している。雁皮のようなつやのある薄紙で、ところどころに長い繊維が漉き込まれている。
本文はパピヨンかがりで綴じ、白インクのシルクスクリーンで刷った表紙をフランス装風に折り込み、本体の背にでんぷんのりで接着した。180度以上開く、やわらかく軽い本になった。
本文の俳句は白インキのボールペンですべて手描き。一句ずつ手本となるテキストをプリンター出力し、上からなぞり書きをした。
箱は1ミリボール紙より薄い白ボールを芯紙に、表紙と同じ柄を薄グレーで出力した「メガ」で全面包んだ夫婦箱にした。
『草木塔』という句集は二冊存在する。はじめに出されたのが昭和八年、句友であり、生涯の支援者だった木村緑平、大山澄太らの尽力により七冊刊行された折本句集の二番目にあたる本である。
もうひとつの『草木塔』は昭和15年、東京の八雲書林から刊行されている。折本句集を集大成した一代句集で、今回依拠とした底本はこちらの本になる。
山頭火は行乞の途上につけた日記を、折々木村緑平に送っていた。今日残ってる21冊の日記はそのようにして現存している。大正15年から昭和5年までの日記は、行乞以前、山頭火自身の手によって焼却された。いかなる理由があって焼き捨てられたのかは不明のままとなっている。
本を作るにあたって、念頭に置いたのはこの行乞日記の存在だった。行乞の途上、山頭火が時には石の上で、時には宿の軒下で開いたであろう帳面。そうしたポータブルな冊子のかたちが、頭の中に浮かんでいた。抄出した100句をページに一句ずつ、おおぶりな文字で描く。
だから、すっかり漂白された、均一に漉かれた紙でなく、ロクタのしなやかさ、色合い、風合いのある紙がふさわしいと思った。
最後の日記となった「一草庵日記」は死の直前、十月八日までが残されている。酒乱をいましめる言葉、周囲の施しに対する感謝の言葉、死の誘惑をかわす言葉、からだの不調を嘆く言葉に交じって、まるで句読点のように、そこここにおかれているのは「さびしい」という言葉だった。
まつすぐな道でさみしい
寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが
やつぱり一人がよろしい雑草
やつぱり一人はさみしい枯草
庵に来訪者があれば全身で喜び、語らった旨が日記に記され、ひとり暮らす日の日記にはあっというまにさびしさが訪れる。この途方も無いさびしさとの「同行二人」が山頭火の人生そのものだったのだろうと、句集を読んであらためて思われる。「やっぱり一人がよろしい」と「やっぱり一人はさみしい」は両立する。
水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。
(「行乞記」より)
[DATA]
本体 W67 D9 H115(mm)
夫婦箱 W72 D15 H122(mm)
本体 表 紙 ロクタ極薄紙 4g
題 簽 ロクタ極薄紙 4g
見返し ロクタ極薄紙 4g
本 文 ロクタ極薄紙 4g
夫婦箱 メガ メレンゲ〈90〉
表 紙 シルクスクリーン
題 簽 手描き(PILOT Juice0.5 ホワイト)
本 文 手描き(PILOT Juice0.5 ホワイト)
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