赤色の姫君

スカートを赤い大地にはためかせ砂に風紋横切り遺す

挿絵 竹本万亀

 ばらばらと落ちた赤い粒。ごほんと咳き込むとまた赤い粒が落ちる。
 苦しい。
 赤い粒を吐くと息が詰まる。息が詰まるからまた咳き込んで、また赤い粒を吐く。苦しいけれど、赤い粒を吐くことは止められない。
 ・・・カハッ。
 木苺大の赤い粒が口から転げでる。ことのほか大きいそれを吐いた時、身体が崩れ落ちた。冷たくて固い石の床にうずくまる。シュマ様、という声が近寄ってきて、背中をさすった。内臓が焼け付くようだ。息はまだ荒いが、吐き気はおさまった。あの木苺大の粒が、最後だったようだ。
 顔をあげる。吐き気で焦点が定まらなかった眼に視力が戻ってきた。吐き出したばかりの赤い粒が、窓からの陽を浴びてキラキラと散らばっている。
「首飾りくらい出来るわね」
 吐き出した赤い粒の量に満足し、うっとりと口にする。傍らにいた乳姉妹のフキノが、シュマ様、と叱責するように言った。
「・・・何?」
 言外の意味を問うてみると、フキノは黙って俯いた。
 私には、彼女の言うことがわからない。身体を大切にして下さいだの、もうやめて下さいだの、意味がわからない。赤い粒は高い値で売れるのだ。誰もがこの美しい赤い粒を欲しがるのだ。私はこんなにも美しいものを生み出せるのだ。私の身体が多少壊れても仕方がない。代償だ。この粒を生み出すための。この粒は、この国に富をもたらすのだ。もう、やめられない。
「一粒残らず拾い集めるのよ」
 立ち上がると服に付いていた赤い粒が落ちて、パラパラと固い音をたてた。フキノは這いつくばり、赤い粒を一粒一粒拾い上げる。フキノの手のひらに赤い粒が集まり、赤い光をためる。
「とびきりの細工を施すのよ。その赤が映えるようにね。この間の細工師に、そう伝えて頂戴」
「はい、かしこまりました」
 フキノは這いつくばったまま床にこすりつけるように頭を下げた。一瞥して歩き出す。

 少し疲れた。少し眠ろう。胸の内が焼けただれたようにじりじりとして、落ち着かない。赤い粒を吐いた後は、いつもこうだ。
 ベットに横たわると力が抜けた。少し眠れそうだ。
 見るともなしに窓の外を見る。赤い大地、ごつごつとした岩。この地は、痩せて乾いている。作物は育たない。代わりにこの赤い大地には、鉱石が眠っていた。百年の昔、この地に富と夢を求めて多くの民が移り住んだ。
 けれど鉱石は枯渇した。民の富と夢をこの大地はもう満たさない。だったらそれを満たすのは私なのだといつからか思うようになった。私は領主の娘である。私には美しい赤い粒を吐き出す能力がある。そういうことだ。
 眼を開けていることが億劫になる。考えることも思うことも億劫だ。
 私は浅い眠りに落ちた。

 腕に触れる何かの気配に、目が覚めた。
 医者が脈をとっていた。
 胸が悪い。ムカムカする。反射的に布団をぎゅっとつかむと、医者がこちらを見た。

「お加減、悪そうですね」
「・・・胸が悪いわ」
「お食事は」
 喋るのも億劫で首をふる。医者は視線をはずして、布団の上に伸ばしている私の腕を見た。
 骨と皮だ。いつのまにこんなに痩せたのだろう。骨の形がそのままわかる。私、まだ、生きているのに。
「しばらく休みますか。身体への負担が過ぎるようですから」
「・・・でも」
 私は、あの赤い液体を思い浮かべる。医者の鞄に入っている茶色の小瓶に容れられたどろりと赤くて甘苦い液。それを飲んで、私は赤い粒を吐いている。
 けれど、誰でもあの液を飲めば赤い粒を吐き出せるというものではない。それに、私ほど澄んだ美しい粒を吐き出せる者はいない。整った丸い美しい結晶。だから価値があるのだ。
「少し休んで、しっかり食事をとって下さい。あたたかいジャガイモのスープを用意するよう言づけておきます。他に何か食べたい物など、ございますか」
「食事は結構よ。それより、あれを頂戴」
 半身を起こす。医者が鞄の口を押さえ、首をふった。
「これ以上は・・・」
「身体は大丈夫だわ。私はもっとたくさんの赤い粒を生み出さなくてはならないの」
「おそれながら、今はそんな必要は無いように思われます」
 医者が深々と頭を垂れた。そして、黒い鞄を持ち直し、部屋を出ていく。
「・・・どういう意味」
 私の声が小さすぎたのか、それとももう質問は受け付けないということなのか、医者は黙って遠ざかろうとする。
 私はベットから出る。立ち上がると視界がまわって、ベットの上に腰掛けてしまう。眼をつぶると青や黄の光が、まぶたの裏でゆっくりとまわっていた。
 しばらくそのままの姿勢でいると目眩が遠ざかったので、私は再び立ち上がった。かかとの低い気に入りの赤い室内履きに足をつっこむ。何もかもがもどかしく、胸がいがいがとする。この焦燥はなんだ。

 保管庫に鍵はかかっていなかった。扉を開けると赤い粒を磨いていたフキノが振り返った。
「シュマ様」
 保管庫の棚には、赤い粒がぎっしりと詰まった瓶が並べられている。赤い粒が美しく配された首飾りが壁に幾重にも掛けられている。薄暗い部屋の中でも、かすかに赤く光っている。
「・・・どういうこと」
 壁の中央に掛けられているひときわ大きな赤い粒の首飾りは、二年も前に隣国に売却したはずのものだ。他にも見覚えのあるものがある。ずいぶん前にしつらえて、売却したはずの首飾り。
「どういうことなの。これは、・・・この首飾りは、隣国に売ったはずよ。どうして、ここにあるの」
「・・・」
 フキノは床をみている。私と眼をあわせようとしない。微動だにしないフキノの様子に、私の声は大きくなる。
「答えなさい、フキノ」
「・・・返品でございます」
「・・・返品」
 壁に掛けられている首飾りのひとつに触れる。透明に赤く透き通ったそれは、とても美しい。私が吐き出した時からずっと変わらずに美しいのに。
「なぜ」
 フキノはまた床を見ている。地味な鼠色のスカートを履いて、ただ俯いて立ってるフキノの姿に苛立ちを覚える。
「なぜ返品されるの。理由を答えなさい」
 ひゅっと息をのみ、その後一息に吐き出すようにしてフキノは答えた。
「呪われているからでございます」
「呪われている」
 フキノは黙って頷いた。私は意味が飲み込めずにさらに苛立つ。
「何を言ってるの」
 フキノは顔をあげ、私を真っ直ぐに見た。そして、真っ直ぐに言った。
「この粒は、シュマ様が毒を飲んで吐き出したもの。それ故この赤い粒は、持っている者に災いをふりかける、呪いがかかっていると噂がたったのでございます。そんなわけで、もうこの赤い粒を欲しがる者はおりません」
 腰の力が抜け、その場にへなへなと座り込んでしまった。シュマ様、と叫んで、フキノが駆け寄ってくる。大丈夫ですか、と覗き込んでくる瞳には、私への心配しかない。けれど私は、何にも受け入れられず、カハッと口を開けていた。吐き気がする。うまく空気が吸えなくて苦しい。吐き気に大きく口を開けているのに、出てくるのはゼーゼーという息の音だけだ。空気が固い。どんどん固くなって飲み込めない。
「失礼致します」
 声と同時に私の顔が鼠色の布で覆われる。フキノがスカートを私の顔に押しつけたのだ。苦しい、何をするのだ、と思ったのもつかの間、空気が次第に軟らかさを取り戻し、私は呼吸を取り戻した。私の息が楽になったのを見てとって、フキノはゆっくりと身体を離し、私の背中をなでた。背中に伝わるフキノの手のぬくもりに、私は少しずつ姿勢を正す。背筋をしゃんと伸ばすと、目尻に溜まっていた涙がぼろりと零れた。
「大丈夫ですか、シュマ様」
 フキノの腕をつかみ、私は立ち上がる。少しふらついたが、すっくと立つ。赤い粒をぐるりと見渡す。
「なんだ、大丈夫よ。まだこれは綺麗だわ」
 フキノは怖ろしげな顔で私を見た。怪物にでも出会った様に恐怖をはりつけている。その様子に、私の頬に笑みが浮かんだ。この娘も私を理解することは出来ないのだから、仕様がないのだ。
「あたたかいジャガイモのスープが食べたいわ。部屋に届けて」
 かしこまりました、とフキノは頭を下げる。私はきびすを返し、保管庫を出る。

 あたたかいものを食べて、少し眠ろう。考えるのは、それからだ。
 その時、ふわりと花のにおいがした。どこかでジャスミンが咲いているのだろう。

 窓に寄って、外を見る。曇天だ。ジャスミンの花も見あたらない。仕方がないから、大きく息を吸ってみる。するとやっぱりジャスミンのにおいがした。焼けただれた胸の内に、とろりと甘い香りが塗られる。
 大丈夫だ、きっと良くなる。
 私は窓を離れ、歩を進めた。ここよりあたたかい私の部屋に向かって。

                                      【文:榎田純子/挿絵:竹本万亀】

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