種の中の仏様

種の中の仏様 にのみやさをり
 教室の窓際の席、彼女は座ってた。少し茶色がかった髪の毛はいつでもつやつやしていて、眺めているといつも触ってみたい気持ちになった。鼻ぺちゃの、茶色の髪がよく映える雪のように色白の子だった。
 その彼女には妙な癖があって、午後の授業になると必ず何かを頬張っている。月曜日の国語の時間も、火曜日の数学の時間でも、水曜日の理科1の授業でも。木曜日でも金曜日でも午後の授業では必ず彼女は何かを頬張っていた。
 何を頬張っているんだろう。ずっとずっと疑問だった。
 或る日、何の縁か彼女と一緒にお弁当を食べることになった。そうして食べ終わる頃、彼女は、一度お弁当箱の隅に置いた梅干を再び箸でつまんで口の中に入れた。種を出そうという気配はない。
「梅干の種、出さないの?」
 不思議に思った私は彼女に尋ねた。
「うん、ずっと舐めてるの」
 それだけ言うと彼女は、空になったお弁当箱を畳んだ。その日彼女はいつものように午後の授業の間中ずっと口の中で転がしていた。梅干の種を。

 梅干の種の中にはね、仏様が入ってるんだよ。
 数日経って彼女が教えてくれた。だから、大事に大事に舐めるんだ、と。そんなことを聞いたのははじめてのことだった。
 梅干の種の中には仏様が入ってる。
 本当だとしたら、とんでもない話だと思った。

 何故とんでもない話なのかといえば、梅干の種の中に仏様が入ってるんだとしたら、つまり、種の数だけ仏様が存在しているわけで、ということは、梅の実がなる梅の木は仏様がなる木ということになるではないか。いくら何でも、信じるにはほど遠い話に思えた。
 だったら梅干の種を割ってごらんよ。ちゃーんと仏様が入ってるんだから。
 普段物静かな彼女が珍しく語気を強め口を尖らしてそう言った。終いには口の中の種を歯で噛んで割ろうしている。それに気付いて私は、後ろも見ずに逃げ出した。
 あの日から、彼女とはお弁当を一緒に食べることも話をすることもなくなった。喧嘩などと言えそうにもない些細なやり取りですれ違ったまま気付けばクラスも別々になり、私の視界から彼女は薄れていった。

 あの時。
 怖かったんだ。本当に仏様が入っていたらどうしようと思って。馬鹿じゃないと笑われるかもしれないけれど、私は怖かったんだ。仏様なんかが梅干の種に入ってるなんて、私は信じたくなかったから。でも本当にそこに入っているのを見せられたら、嘘だと言い張ることはできそうになかったし。
 梅干の種の中に仏様なんて、信じたくないから私は逃げたんだ。

 でもそうして逃げて。本当か嘘かを確かめるのが怖くて知るのが怖くて逃げて。
 彼女と話もしなくなって一年と少し経つ頃、祖母が死んだ。さをりの誕生樹にと祖母がくれた梅の樹が庭で満開になった寒い寒い晩のことだった。そしてその夏、満開に花咲いたにもかかわらず、梅の実はひとつもならなかった。誰にも気付かれることなく、誰にも悟られることなく、梅の樹はひっそりと息を引き取っていたのだ。まるで祖母の後を追うかのように。
 梅干の種の中にはね、仏様が入ってるんだよ。
 静かに枯れた梅の樹の影が、夜の庭でそよぐのを見上げた私の耳の奥で、いつかの彼女の声がした。

 あれから二十五年。
 私は何度も梅干を食べてはいるけれど、梅干の種はいまだに割ったことがない。だからその中に何が入っているのか、それとも何も入っていないのか、私は知らない。

(写真・言の葉:にのみやさをり)

ページの上部に戻る