小説『睡蓮』第八回

     襲撃

 清水夫婦のテントに時折やってきていた取材陣が完全にひきあげてゆき、公園に日常らしきものが戻ると、ちょっとしたトラブルが持ち上がった。
 トラブルの中心には菊地がいた。
 取材の謝礼半額を菊地が受け取り、その事を知ったボランティアのユーさんが、子供の為にも全額を夫婦に渡すべきだと主張したのである。
 ホームレスの生活に深く関わろうとするボランティアの中には、テント生活を理解しようと、定期的にテントを張る者がいる。あるいは、ダンボールハウスで眠る。 
 青い目の留学生、ユーさんもそんな熱心な者のひとりであり、眠る前にはクリスチャンらしい静かな話しかけで皆の様子を見て回る。
 ユーさんが公園で寝ている夜は睡蓮もなんとはなしに安心し、いつもよりぐっすりと眠ってしまうのであった。
 その静かなユーさんが皆の前で大声をあげたのは、これまで菊地の巻き起こす似た様なトラブルへの苛立ちが積み重なっていたからでもある。
 菊地は自分が交渉して連れて来た取材陣なのであるから自分が半分もらうのは当然であると言い張り、ユーさんは毅然とした態度で菊池に反論し、たじろぐ様子も見せなかった。
 公園の住人全員が、菊池への漠とした反感を似た様に抱いており、誰もがユーさんの抗議に内心、胸のすく思いをしていた。
 が、誰もそれを口にしようとはしなかった。
 公園の中がしんと静まり返った。
 清水夫婦も同様に黙り込んでいた。
「育ちのいい外人さんは頭が固いよ」
 やがて珍しく菊地が折れ、全額を清水夫婦に渡すと約束し、漸くその場を立ち去ったあとも、若いユーさんは全身を震わせるようにして遠ざかる菊地の背中を睨んでいた。
 その、小さなトラブルは、小さなままではおさまらなかった。

 その夜、ユーさんは、睡蓮のテントから少し離れた場所に、棺桶にも似た簡単な寝床をダンボールでこしらえた。
 彼は天井の半分無い低い天窓から半身を出して缶ビールを飲みつつ、普段は無口で殆ど誰とも会話をしない大男、ヤマダと珍しく雑談をしていたが、やがて二人ともすっかり酔って寝入ってしまった。
 みな深く眠っていたため、ユーさんのダンボールハウスが襲われたのを誰も気付かなかった。
 いや、正しくはその時、ユーさんのダンボールハウスで寝ていたのはヤマダであった。
 ユーさんは一晩をそこで過ごす事をせず、皆が寝静まった深夜にひっそりと帰宅し、その真新しい清潔な箱にいつのまにかヤマダが入り込んだのである。
 無口な大男のただならぬ呻き声でようやく目覚めた斉藤が、暗いダンボールハウスの底で頭部を押さえ悶え苦しんでいるヤマダを発見した。
 夜の暗闇の中ではあったが、その指の間から黒いものがとくとくと流れ出しているのを見てとると、斉藤はすぐさまケータイで救急車を呼び、病院に運んだ。
 救急車が病院にたどり着いた時点ですでにヤマダの意識はなかった。

 翌日、公園内は再びざわついた。
 現場を見に来たひとりの警察官が睡蓮に話しかけようとしたそのとき、後頭部の傷がまだ完全には癒えていない木村が、ベージュのトレンチコートを来たサラリーマンが通りがかりにやったのだと言い出した。
 警察官は実直そうに彼の言葉に耳を傾けた。
「見たんですね?」
「見たよ。ふつーのサラリーマンがさ、通りすがりにこうもり傘の先でブスっとやったのを見たよ。あんとき目玉を突いたんだろ」
「何歳くらいの男だったか覚えてる?」
「うん、三十歳くらいだったかなぁ」
「この公園によく来る男?」
「あーいや、はじめて見たね」
 それ以外に、目撃情報は無かった。
 斉藤はテントにじっと引きこもり、マツモトは公園周辺をそわそわと遠巻きに歩き回り、清水夫婦のテントはしばらくのあいだ空になった。
 
 事件の後、解体屋ひきいるボランティアたちの見回りが毎晩続いた。
 時折、トデチも見回りに加わった。

        モンスター

    モンスターは生きてる
    黒いテントの奥で
    人間の屁精神を見破るモンスターに声は無い
    区役所で尻をぬぐう紙と硬パンをもらい
    モンスターにも聖なるパンをわけてやる
    明日は雨だ
    お前もどこへも行けないだろう
    モンスター

    昨日
    夜の水飲み場で
    一円玉が水にうたれて踊っているのを口を開けて見ていた
    モンスター
                       トデチ

 

(つづく)

 

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