「メダカと柿とラブレター」  第11章 これから

 松山から戻った父さんは、昔よりは早く家に帰ってくるようになった。そのせいで時折母さんと言い合いになって、僕か翔ちゃんの部屋に隠れにやって来る。夫婦喧嘩は犬も喰わないっていうのに、もういい加減やめたらどうかと思う。
 母さんは、いまだにおかえりなんてことは言いやしないけれど、あれほどしがみついていた仕事をすっぱりやめて、最近では近所の井戸端会議のオバサン連中の仲間入りをしている。そのせいか、高校受験を控えた僕にやかましいほどちょっかいを出してくる。おかげで僕は、とやかくうるせぇんだよ、うちのオフクロ、と言っていた友達の気持ちが痛いほどよく分かるようになった。そういうところは多少変わったけれど、でも、何でうちはこうなのかしらん、という母さんの口癖は、いまだに続いている。

渡辺彰吾
                (絵:渡辺彰吾) 

 今頃、翔ちゃんは部屋にこもって絵本づくりに夢中になっているのだろう。翔ちゃんは先日、父さんと母さんを前に、もう学校には行かないと言い放った。もちろん、翔ちゃんには無事高校を卒業して大学にいけるような学力は充分にないと言ってしまえばそれだけなんだけど、翔ちゃんは、訳の分からない勉強をするよりも、恵子さんや千代子さんと同じことがしたいのだそうだ。翔ちゃんが、母さんと父さんを前にしてその気持ちを自分の声ではっきりと告げたとき、初めて父さんと母さんは、恵子さんがしていたことを知った。その夜、母さんは恵子さんの位牌の前に一晩中座り続けていた。父さんは、そんな母さんをふすま越しに朝までずっと見守っていた。
 恵子さんの三回忌を迎える頃には、また少し、何かが変わっているのかも知れない。人の気持ちなんて流れていくものだし、約束も言葉も、時間と同じように移り変わっていく。でも、人と人との間で営まれていくモノは、どんなに変わりゆくものであれ、いつか届けという切ない願いが込められているに違いない。本当のコトなんてそうそうつかめない代わりに、それでもどこかにホントという何かが転がっているんじゃないかと思いながら徒労を続けるのが、ヒト、なんじゃないかと、近頃僕は思う。
 そういえば、僕は最近夢を見なくなった。だから、見れば必ずといっていいほど現れたあのヒトガタにも、ここしばらく出会っていない。今さらながら思うのは、あのヒトガタは、恵子さんだったんじゃないか、と。疲れちゃったと言った恵子さんの言葉の意味が、今も僕には分からない。分からないことが許せなくて、しばらく考え巡らせていたりもしたけれど、やっぱり僕は僕で、決して恵子さんではなく、恵子さんではない僕がどうあがいたって、それはどうにも分からないことなのだと思うようになった。第一、恵子さんもすべてを分かって僕にそれを共有してほしいと思っていたわけではないような気がする。そして、もし今も恵子さんが生きてここにいたら、もうあんな声で疲れちゃったとは言わないですむんじゃないかと、思うことがある。そうしてもし、僕がこの先あのヒトガタに出会うことがあっても、そのときはちゃんと、ヒトガタも一人分の姿になって、僕の夢に現れてくれるような気がしてならない。
 机の上に広げた数学のノートの隅っこに、恵子さんがよく言っていたという、人間という字はヒトのアイダ、と書いてみる。
 鉛筆で何度も何度もなぞるうち、僕は、ヒトのアイダというよりも、この世に生まれ堕ちるヒトとヒトとをつなげていた緒、そのことを思いながら、恵子さんはこの言葉を口にしていたのかも知れない、なんて、ふと思った。

(終わり)

                 

ページの上部に戻る