ヘンプシープの衣    第二話 茶会への招待

「マーリちゃん、あっそびましょう」
 扉の向こうから弾むような声。「はーい」と返事をして、マリスは机の上に出しておいた付け襟をつける。襟元を手のひらでおさえて、一呼吸おいてから扉を開けると、案の定サラが立っていた。マリスは感嘆のため息をつく。サラがまとう衣には、赤い花が染めぬかれている。直線的な上衣、その裾に大きな赤い花が一列に並んで咲き誇り、首元からびっしりと金で縁取られた赤い小花が降るように咲いている。その赤の鮮やかさに、マリスは見とれた。
「ミズホさんからご招待。お茶を飲みにいらしてください、だって」
 ほうけたマリスの様子を気にもとめずに、はつらつとサラは言った。その声に我に返り、マリスは「あぁ」とも「まぁ」ともつかない返事をした。
「ミーちゃんは、東の都の出身だから、お茶とかお着物とかに詳しいのよ」
 笑顔でサラは身をひるがえし、マリスは後ろ手に扉を閉めて、後に続く。親しげにサラがミーちゃんと呼ぶ女の子がミズホさん。マリスはサラの後ろを歩きながら、胸の前できゅっと手を握る。サラとミズホはすでに親しいのだ、と察して、マリスは気後れする。二人にみすぼらしい田舎の娘だと、思われたりしないかしら、と不安になる。
 しんとした廊下に響く、サラの軽やかな足音。廊下をまっすぐにいく赤い花と足音に黙ってついていく。サラは突き当たりまで進んで、角の扉を叩く。
「ミーちゃーん、来ましたよ」
「どうぞ、お入りになって」
 中からの声に、サラが扉を開ける。そのまま部屋に入ったサラに続こうとして、マリスはサラの背中にぶつかりかける。サラは立ち止まって靴を脱ごうと屈んでいた。小さくよろめいて壁に手をついたマリスの視界に、畳と橙色の着物を着た少女が映る。マリスが戸惑っていると、畳に上がってサラが言った。
「履き物は脱いで上がるのよ。ミーちゃんのお部屋は和室だから」
「和室・・・なんてあるんですね」
「違う違う、ミーちゃんが勝手に改装したのよ。畳と一緒に入学してきた人、学院史上初じゃない?」
 サラのクスクス笑いを聴きながら、マリスは室内履きを脱いで、畳に上がる。い草の青い匂いがする。
「郷に入っては郷に従えっていうのにね。ミーちゃんはひとつもゆずらない気なんだよね」
 サラのからかうような口調に、ミズホは澄まし顔で応える。
「あら、従ってますわよ。制服も着ているし、お食事は食堂でとっているし。自分のお部屋くらい好きにしつらえたってかまわないでしょ」
 サラがミズホの向かいに座ったので、マリスはその隣に座る。ミズホが懐紙かいしに載せた干菓子をサラとマリスの前に置く。桃色の花の形をした干菓子。
「桜ね、いただきます」
 サラが干菓子をひとつつまんで口に運ぶ。マリスも倣って、目の前に置かれた干菓子を口に運ぶ。カリッという歯ごたえの後、ほろほろと溶けて甘さが広がった。
 ミズホは茶碗を正面に置くと、抹茶を入れ、魔法瓶から湯を注いだ。流れるような所作で 茶筅ちゃせんを振り、茶を点てる。茶碗からすっと茶筅が抜かれ、畳の上に立てられる。
「どうぞ」とサラの前に茶が出される。
 サラがマリスに顔を向け「お先に」とほほえんだので、マリスは軽く頭を下げる。「いただきます」とミズホに告げて、サラは茶に口をつける。こくりと飲んで茶碗を口から離し「おいしいわ」とサラがほほえんだ。背筋が伸びたサラの一連の所作をマリスは心の中で反芻する。お茶席でお茶をいただいた経験がマリスはほとんどない。一通りの心得はあるものの、粗相のないようにと緊張してしまう。
「どうぞ」とマリスの前に茶が出される。マリスは押し頂いて、茶碗に口をつける。一口すすると清い苦さに、すうっとした。
 ほうっと息を吐いて顔を上げるとミズホがマリスを見てほほえんでいた。
「マリスさんの国では、こういうお茶、あまり召し上がらないのでしょう?」
「えぇ、私の故郷では、茶が育たないので、抹茶も煎茶も特別な席でだけいただくものなんです。普段は、乳を沸かして飲んだり、薄荷のお茶をいただくことが多いですね」
「薄荷のお茶。なんだか素敵ね」
「いえ、そんな・・・」
 ミズホの心酔した様子に、マリスが戸惑うと、隣でサラが笑う声がした。
「ミーちゃん、こう見えて西洋かぶれなの。アンデルセン童話が大好きでね、だから、マリちゃんみたいな女の子に興味津々なの」
「えっと・・・」
「マリスさんは普段が洋装でしょ。身についている立ち居振る舞いが違いますのもね。私は普段が着物だから、制服を着ただけでぎこちなくなってしまうもの」
「いえ、そんな・・・」
「その付け襟は、ご自分で編んだの?マリスさんは、編み物なさるんでしょ」
 マリスは思わず襟元に手を置く。
「自分で編みました。けれど、特別なことではなくて、亜麻の服はてろんとしていて、だらしなくも見える服なので、よそいきの時は襟をつけるのが正式なんです。だから、皆、自分で編んだ付け襟を二つ三つ持っているものなんです」
「見せて」と促されて、マリスは付け襟をはずして、サラの手のひらに載せる。
「思ったより重みがあるわ」
 サラは付け襟の両端を両手に持ち直して、自分の首につける。
「どう?」
「そのお洋服にはあわないわ。襟が目立たなくて、ごてごてしてしまうもの」
 ミズホの歯に衣着せぬ物言いに、サラは驚いて声を出す。
「そんな・・・、サラさんのお洋服、鮮やかな赤に目がいってしまうから、散漫に映ってしまうかもしれませんけど。襟よりお洋服の方が、勝ってしまうというか。・・・私、そんなに鮮やかな赤、初めて見ました」
「これはね、更紗さらさ。茜で染めているの。うちは輸入商をやっているから、舶来の洋服がたくさんあるの。南国の赤よね」
 サラは赤い花の列の上に手を置く。鮮やかな赤に、マリスは見入ってしまう。
「あんまり鮮やかすぎて、着る人を選ぶわよね。サラさんには、お似合いだけど」
「それ、褒めてるの?・・・まぁ、いいわ。確かに、ミーちゃんの黄丹おうたんは、あでやかでいて、誰にでも似合うというか、馴染むものね」
 サラの言葉に、マリスはミズホを見る。確かにミズホの着物は、しっとりと馴染んでいる。
「黄丹と言うのですか?」
「クチナシの実で黄色く染めた後に、紅花で重ねて染めるとこの橙色になるの。クチナシだけで染めた黄色い糸を織り込んで、縞をいれているの」
 言われてよくよく眺めると、着物全体に黄色い縞が入っている。離れて眺めるのでは、判然としないほどの細い黄色の線。けれど、そこに気配があるように、マリスは感じる。
「私にも見せて」
 ミズホがすっとサラの方へ手を伸ばした。サラは付け襟をはずして、ミズホの手のひらに載せる。ミズホはそれを身体に引き寄せて、じっと見る。
絵 もうりひとみ
「生成りなのね」
 ミズホは付け襟に視線を落としたまま言った。
「えぇ、生成りの亜麻を編んだ物です」
「亜麻って、こういう色なのね。もっと金に近いのかと思っていたけれど、どちらかというと銀だわね。銀鼠ぎんねず色」
「そうですね、編むと色が濃くなるというか、重くなるというか、そのせいもあるかもしれません。糸がまれて編まれて、重なると影の色が濃くなるので」
「絹のツヤは、絹糸が光を集めてはじいているせいのように思うけど、亜麻は、どちらかというと光を溶かしこむのね。光を吸ってしまうから、光らないような」
「さすが文学少女、おっしゃる意味が分かりませんわ」
 からかうようにサラは言って、茶碗を持ち上げて口元に運んだ。マリスは思わず言葉を返す。
「あら、とてもよく分かりますわ。ミズホさんの言わんとしていること」
 サラが手を止めて目を丸くした。静寂が流れた。マリスはその場を取り繕おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。
 すっと衣擦れの音がしたので、そちらに目をやると、ミズホが付け襟をマリスに差し出していた。マリスは付け襟を受け取り、そのまま自分の首に付けて、そっと襟元を押さえる。それから、手を膝に置く。
「サラさんと私は、古なじみなの。うちは絹織物業をしていて、それをサラさんのところに卸しているの。サラさんは、小さい頃から、よくお父様に連れられてうちに遊びに来ていたの。だからね、小さい頃からよくやり合っているの。辛辣なおしゃべりも楽しいのよ」
「びっくりさせちゃったみたいね」
 ふふっと声を出してサラが笑った。戸惑ったマリスがポカンとしていると「マリちゃんに厳しいことはしばらく言わないから大丈夫よ」とまた笑う。
「しばらく経ったら言うおつもりね」
「そりゃ言うでしょ。お友達にずっと気をつかって話すなんて楽しくないもの」
 サラは澄まして、茶碗に口をつけた。
 友達という言葉に、嬉しさがこみ上げてくるのを押さえながら、マリスも茶を口に含んだ。さわやかな苦味が口に広がった。

       *

 自室に戻ったマリスは、納戸を開け籠を取り出す。寝台の上に置いて蓋を開けると、麻糸、亜麻糸、毛糸が視界に入ってくる。藍で染めた様々に青い糸。藍は染める回数で、水色、青色、藍色、紺色と染めることができる。染める回数が同じでも亜麻糸と毛糸では違う色に染まってくる。時間が経てば色味も変わり、同じ色はない。
 マリスは両の手のひらを広げ、糸に押し当てる。色々な手触りがする。
 マリスは目を閉じて身体を折り、籠に覆い被さる。額や頬に糸が触れる。まぶたの裏に青が透ける。
 これが私の色。
絵 もうりひとみ
 そう感じてから身を起こす。
 サラの茜もミズホの黄丹もはじめて見る色で、その鮮やかさに引きつけられたけれど、マリスには使えない。自分に使えるのは、この青であることをマリスは確認する。そうして、サラの赤とミズホの橙を脳裏に浮かべる。
 奇麗な色。
 マリスの心が嬉しがっていた。それを確認して、マリスは自分の糸に顔を埋めた。

                              【文:榎田純子 / 挿絵:もうりひとみ】

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