恩師とのこと5【先生への手紙より】

先生、写真無事届いたとの葉書、ありがとう!安心しました。 葉書を読んで、ああやっぱり先生気づいたんだなとくすっとしました。

そうだね、あの写真は、先生の左手だよね。

あの日、写真を撮るか撮らないか全く決めていなくて、ただ、撮ろうと思った瞬間にカメラがないと困るから持って行かなくちゃと担いで行ったのでした。
先生が、小林さんや川上さんに向かって語り続けている横顔を見ていて、あ、今撮っておこう、と思ったので撮り始めた。撮り始めて、改めて、先生の背後の絵画と地図とをファインダー越しに見つめた。この絵や地図が、先生の生活をじっと毎日毎瞬見つめているのだなあと感じながらシャッターを切った。先生の横顔をくっきり写せば当然地図と絵画はフレームからはみ出る。先生の背景を何も知らなければそっちの方がいいのかもしれない。でも、絵画と地図はあの時、あの位置で先生を両側から支えているように見えた。こりゃちゃんと刻んでおかないとなって思った。なので、先生の横顔のアップと、それから地図と絵画両方を入れたもの、そして、手、の写真を先生に送ったんだ。
先生の手はいつか撮りたいと思ってた。もちろんその時は、先生の右手を撮りたいと思っていた。先生の手といえば右手だと私は思っていたから。先生=書き文字=右手、だった。
でも、あの日、先生は小林さんと川上さんに向かって語り続けている最中ずっと、右手を脇に置いたままだった。先生が自分の語りに合わせて波のように動かすのは、ひたすら左手だった。
先生、右手が痺れるようになって、文字が上手く書けなくなったって言ってたよね。それもあったのかな、あの日喋ってる間ずっと右手をちっとも動かさなかったのは。どうなんだろう?
先生に確かめたわけじゃないから、私には確かなことは分からないのだけれども。
ファインダー越しにあの時じーっと先生の左手を見つめていて私が感じていたのは。先生の左手は、先生の声を押し出すのに必要なのかな、って。

私は残念ながら、高校のあの、先生が唯一私を担当してくれた国語演習の授業の時、先生の左手がいつもどんなふうに動いてたか、ちっとも覚えていない。思い出せない。先生の右手がどうだったかも、これもまた、思い出せない。でも、かすかに、本当にかすかなのだけれどもちらっと私の脳裏を過ぎる映像があって、それは、先生があの眼光鋭い見据えるような眼で生徒と対峙しながら、左手を大きく振ってた、動かしてた、その一瞬、なんだ。
そこからこんなことを想像した。 先生の右手は、先生がひとり、じっと、書くという行為において必要な手。
先生の左手は、先生が生徒や誰かに向けて、声でもって語る為に必要な、手。
―――なのかな、と。
文字を支えるための手と、声を支えるための手、と。それぞれ役割分担してるのかな、って。
だとしたら。先生の右手の写真って、余程のチャンスを得ない限り撮れないのかもしれないね。先生が私の前で何か、書くという行為に先生が浸るような時間がない限り。

カメラを構えてさ、ファインダー覗いて、そこを通してじっと世界を見つめているとね、いろんなものが見えてくるんだよ。
今通り過ぎようとしたものに何気なくふいっとカメラを向けて、ファインダーを覗いてみると、何故なんだか分からないのだけれども、それまでまったく気づかず通り過ぎようとしていたはずのものたちが、ぶわっと一斉に、ファインダー越しに立ち上がってくる、というか。うわ、なんだ、こんなにいっぱいいろんなものが蠢いてたのか!みたいな。
対ひと、も、そうなんだよね。
それまで裸眼では気づかないで過ごしていたものが、ファインダーを通すとぐいってこっちに向かってくる。ここにいるよなんで気づかないの、気づいてよ!みたいにうわんうわんこっちに訴えてくる。
だからね、カメラを持ってると、私の鼓膜は(それは心の鼓膜なんだろうけども)休まる時がないんだ、あっちこっちから飛んでくる声で覆われちゃって、それを聞き取るのに精一杯だったりする。
耳がそういう状態な一方で、眼は、なんだろ、一切合財の音がない状態、というのかな、ひたすら見つめてる凝視してるという具合で。
耳と目とが、それぞれにそれぞれの役割に徹してて、独立してるというような。辛うじて私の肉体の中にその独立した目と耳とがあるから共存しているけれども、もしかしたら本来、独立してあるべきなんじゃないかってくらいにそれぞれ自分の役割に徹してる。

そうなんだ。
カメラを通して世界を見つめているとね、眺めているとね、みんな、いつも以上に、次々喋るんだよ。
たとえば樹の枝がそこにあったとして。それに対して私がカメラを向けて、ファインダー越しに対峙したとして。そうするとね、その樹の枝の声が顔がありありと見えて聞こえてくるんだよ。
樹が喋るわけないし、川が喋るわけないし、空が喋るわけないって知ってるよ。壁のシミが喋るわけもないしね。みんな、そう言うよね。分かってる。
でもね、私の中で、彼らは生きていて、だから、喋るんだよ。はっきりと。いっぱい。
それに目を耳を傾けてると、だからあっという間に時間が経っちゃうし、ぐしょぐしょに疲れる。疲れるんだけどそれは同時に、ぴーんっと琴線が張り詰めた状態でもある。だから、カメラを構えながら街を徘徊したりひとと対峙した後というのは、体は疲れてるんだけど、心は非常にくっきりと目覚めてる。覚醒してる。

先生がこの間、小林さんや川上さんに言っていたよね。昔のひとは木の枝にさえ恋しい人を見出したんですよ、って。
それを聞いていて、それって昔のひとだけじゃないよ、って、私、思ってたんだ。
少なくとも私は、今この時を生きてる私が、そうだから。

被害に遭ってPTSDになって会社を辞めることになって数か月間、ほとんど食べもせず眠れもせず部屋に閉じこもって床に座って過ごしてた或る日、私、突如花屋に走ったの。白薔薇をください、って。
店にはなくて取り寄せになるって言われたんだけど、それでもいい、待ってるから取り寄せてください、って。頼んだ。
何故なんだか今でも不思議に思うんだけれども。あの時、唐突に思ったんだ、ベランダに樹がほしい、なくちゃだめだ、私死んじゃう、って。
おかしいでしょ? だって私、もう消えてなくなりたいってひたすら思ってたはずなのに。なのに、樹が欲しい、でなきゃ死んじゃう、だめだ!なんて。矛盾してるよね。
でも、そう思ったの。
樹、そして思いついたのが何故か、薔薇、白薔薇だった。白薔薇じゃなきゃ、だめ、だった。理由は、今もよく分からない。
数日後白薔薇の枝が五本届いて、一本を半分に切って、それらを全部、用意しておいたプランターに挿した。挿し木したんだ。
家から外に出ることはなかったけれど、それから私は、薔薇に水を遣る為に何日かおきにベランダには出るようになった。半分の枝はそのまま黒く干からびてしまったけれど、残りの半分の枝は、なんとか根付いてくれた。それから十数年、彼らは私の傍らにいてくれた。
彼らはね、ありありと喋るんだよ。ぶつくさ文句も言うし、歌ったりもするし。とても賑やか。
そうそう、私には、折々に会いに行く樹があって。みなとみらいの、横浜美術館のすぐ近くに立つモミジフウの樹ね、私、あの大樹と友達なんだ。心がぎゅうっと潰れそうになった時、彼を思い出す、呼ばれてる気がして、だから私は自転車飛ばして行くんだ。彼の前に立つと、私はとても安心する。彼に向かって思いつくまま喋って、また、彼の呟くことに耳をじっと傾けていたりするとね、大丈夫、まだやれる、って気持ちになるんだ。

息子がまだ幼いからかもしれないけど。私、彼とはよく、そういう話をするの。彼もするしね。自転車に一緒に乗ってて、彼がたとえば、お月様だ!って言うでしょ、お月様ついてくるよ、って。そうだねって応えるでしょ、そうすると彼はたいてい、一緒に帰ろうって言ってる、とか、おなかすいたーって言ってるよ、って私に言うの。私もね、母ちゃんにはお月様が今君に「今日一日お疲れさま!」って言ってるように聞こえるよ、とか、お月様ひとりぼっちで今日はちょっと寂しいって、とか、応える。
樹も、鳥も、川も、私と彼との間ではみんな、おしゃべりするんだよね。

精神科医は、そういうこと私が言うと、それはあなたの心の声で樹や川の声ではないですよね、って言う。
そうなんだろうな、とも思う。そう言われるんだろうな、とも。
でも。
私には。聞こえるんだよ、そう聞こえるんだ。それぞれの声でそれぞれの言葉を喋ってるように聞こえるんだ。
だから、世界はいつも、とても賑やか。

だからこそ。
世界から自分が切り捨てられてしまったと感じた時。そう、被害に遭ってPTSDの症状が酷くなってどうにもこうにも世界から自分が棄てられてしまったように感じられたとき。
途方もなく、独り、だったよ。
それまでずっとすぐそばにあったとても親密な世界の声が、すべて消え去ってしまって、私から切り離されてしまって。まさに、空間がからっぽ、というような。いや、ちょっと違う、音はするんだ、攻撃してくる音が津波のように押し寄せてくるんだ、どんな瞬間も休みなく。それは私を間違いなく次々串刺しにしてくる、鋭い音。音の洪水。なのに。
同時にありとあらゆる音と隔てられてる、というような。四方八方透明なガラスに囲われて、その中に私が座ってる、というような。
あんな冷たい、沈黙の、同時に攻撃でしかない音の坩堝には、もう、戻りたくないと思う。

小さい頃、よくひとり、家族が寝静まったのを確かめてから、出窓に毛布を引っ張り上げて、毛布にくるまって窓を開けて、外を見てた。世界を視てた。ひとが怖くて怖くてしょうがなくて、だからひとと喋ることはほとんどしなかったけど、夜出窓に座って、私はいっぱい喋ってた。世界と対話してた。ひたすら。延々と。
あの時間は。私をとても、安心させた。ああひとりぼっちじゃない、って。そう、思った。まだ、大丈夫、生きていける、って。

先生の言葉をあの日聞いてから、そのことをぼんやり、ずっと、考えてた。
先生の葉書を貰って、先生が、おまえが撮ったのは俺の左手なんだなってことを指摘してくれて、そのことを改めて思い返していて。
やっぱ、私には、カメラって、必要な道具だったのかもなあ、って、そのことを思ったよ。

にのみやさをり

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