恩師とのこと6【先生への手紙より】

先生!

いっぱい手紙ありがとう。書くの大変だったでしょう? 私も手が痺れて動かなくなってピアノ弾けなくなったってことあったから何となく分かる。しんどいし、辛い。もどかしい。イライラする。自分にため息が出るし。特にさ、「文字」で自分の内奥をひたすら綴ってきた人間に、これは辛いよね。そう、思う。

先生。
先生にとって「学校」は、散々な場所でもあったかもしれない。同僚たちから全く理解されずそっぽを向かれ続け、先生がどれほど孤独を味わったか。どれだけ傷ついたか。それでもあの場所に居続けてくれたこと、私は感謝してもし尽せない。

「学校」のシステムの話。私は先生の話してくれたことからしか想像できないけれども。先生がどれほど真正面からこのテーマにぶつかり続けてくれたか、伝わってくる。いや、それに関しては実際見てるしね。

でもだから、敢えて、言おうと思う。

先生方の、そういった事情、内情なんて、そこに通う子供には、ちっとも関係ないんだよね。
そう、悲しいかな、関係ないんだ。どういう事情があったとしても。その「学校」という場が子供に用意されていた、という、そのことが、子供にはその時、すべて、なんだ。そしてそこで誰と会い、誰と関係し、何を得、失ったか。それがすべて、なんだよ。
それが子供にとって救いになるかそれともならないか。それは、きっと、その子供によるんだと思う。たまたま私にとっては救いになった、というだけで。

私も実際自分が「会社」という組織に属して働き始めて、気付いたよ。「学校」もまた、こういう組織によって用意された「場」だったんだろうなって。そこにはどんな醜い争いがあっただろうなあって。でも、それに気づくのは、「学校」が必要な子供ではなくなってから、「生徒」ではなくなってから、なんだよね。

先生は電話で言ったよね。自分対生徒五十人。教室は闘いの場だった、と。毎日が真剣勝負だった、と。
そう、先生一人対生徒五十人。先生にとってはこの五十人が常に相手。ひっくり返すと、生徒にとっちゃいつだって先生は一人。対するのは先生一人。
この、たった一人の先生がね、生徒には、すさまじい威力を発揮するんだよね、良くも悪くも。
私は小学校五年の時、担任から虐めを受けた経験がある。先生が露骨に虐めてた勉強のできない生徒を庇って先生に疑問をぶつけたら、翌日から標的が私になった、という具合。徹底的に虐められた。授業を受けられないことなんてしょっちゅう。大雪の中屋上に閉じ込められて雪まみれになったこともあった。授業中に他の生徒たちの前で集中攻撃受けることもしょっちゅう。目の前で自分が描いた絵をびりびりに破かれてごみ箱に捨てられたこともあったよ。それまで成績優秀、運動もやらせれば優秀、という可愛い生徒だった二宮は、一転したんだよね。先生の中で。とんでもない生徒に。要らない生徒に。結果、同級生たちからもさらに避けられるようになって。本当に孤独だった。
生徒はさ、先生にとっては五十人の中の一人にすぎないんだろうけれども。生徒にとってはさ、先生はいつだって一人なんだよ。対一人。
そう、先生っていうのは、生徒にとって、明らかな「他人」、明らかな「大人」として、最初に現れる者なんだよね。だから、ここから得る体験は、その子にとんでもないほどの影響を与える。与えずにはおかない。そういうものなんだと、思う。

先生は。どれほど孤独に闘い続けてくれたんだろう。どれだけしんどかったろう。それでも。先生は「学校」という場所に、「工藤信彦」という「教師」として、ひたすら居続けてくれた。
その姿勢が、ね。私みたいな生徒の背筋を、伸ばしてくれたんだよ。踏ん張らせるものになったんだよ。
もし。
先生にとって「学校」が先生を丸ごと受け止めてくれて居心地のいい「居場所」だったらどうなってたろうな、ってちょっと想像してみたの。もしそうだったら…。先生の醸し出す空気もきっと、まったく違ったものになっていただろうなと思うの。あんな相手を射抜くような眼をひたすらし続ける必要もなかったろうな、って。
そしたら、私は、もしかしたら、ここまで先生を凝視し続けてこなかったかもしれない。そう、思った。
先生があの、先生にとってはひたすら孤独な戦場で、それでも闘い続け、居続けてくれた、生き続けてくれたからこそ、私はその先生の姿に励まされ、支えられてきたんだよな、って。
私は、そう思えてならないんだよ。

先生は。
「学校」という生徒にとっての「居場所」で、孤独に闘い続け居続けてくれたからこそ、そこに集う生徒にとって指針になり得た、標になったんだ、と、私には思える。
先生が同僚にも恵まれて生徒たちの親からも理解を得て淡々とあの場所で心地よく過ごしていたとしたら。先生の立ち姿からは、あんなに切羽詰まったぎりぎりの空気は立ちのぼってこなかったろう。先生の横顔はあんなに、鋭いものでもなかったろう。私はそう思う。もっとこう、たとえば、ほのぼのとした、呑気な横顔でいられたんじゃないかと。
もしそうだったとしたら。私はそこまで、先生に魅了されなかったろうと思う。
つまり。
先生にとっての孤独な戦場、孤独な居場所での日々、それらが先生に与えたものこそが、今の先生を形作ったのであり、それこそが、私のような生徒を惹きつけてやまなかったんだ、と。
私はそう、思うんだよ。

先生にとってそれは、つらくしんどい、日々だったかもしれないけれど。
それでもそこで生き続け闘い続けることの意味を、先生は、そこに居続けることで私たちに体現してくれた。
だからこそ。
私たちは先生を、自分の道標として、自分の裡にしかと刻んだんだよ。

だからね。
先生。
ありがとう。
本当にありがとう。
先生にとってどれだけしんどく大変な場所だったかしれない。「学校」なんて所詮、って言葉になっちゃうのかもしれない。先生にとってはそうかもしれない。でも。
だからこそ、私たちには、そこでの先生との交流が、かけがえのない宝物として残っているんだよ。

私は。そう思う。

ページの上部に戻る